2012年10月05日 20:13
「円卓の生徒」やってます。
いやー、楽しいなぁ! 凄く楽しいなぁ!
最初からマスターモードで始めたせいで、雑魚が異様に強いから、
地道にキャラを育てながら、少しずつ探索しているのだけど、
戦闘の緊張感と、こちらが着実に強くなっているのを実感できて、
物凄く「冒険してる」という感じがする。
RPGって、こういうものだよね。
で、このゲーム、以前に私がエルミナージュ・ゴシック等で散々ダメ出しした、
いわゆる一本道のお使いゲームなんですが、ゴシックと違って、超楽しいです。
この違いはどこからきているのでしょうか?
まず、そもそもゲームとしての構造の問題もあります。
ゴシックの問題点は、ダンジョンの無意味な意地の悪さでした。
小部屋と扉を大量に配置して方向感覚を狂わせようという意図ばかりが先行し、
ダンジョン探索の楽しさよりも面倒くささばかりが前面に出てしまう、
ダンジョンデザインの杜撰さと底意地の悪さがまずかった。
これは「剣と魔法と学園モノ。2」にて、
ダンジョンの十字路のことごとくに回転床を無駄に仕掛けるという、
単に意地が悪いだけの構造にしたため、探索させる気を失せさせたのと同じ過ちです。
「円卓の生徒」は特別な何かをしているわけではありません。
ありませんが、ダンジョンが無駄で無意味な構造をしていないという、
ただ当たり前のことを当たり前にやっていることで、
ダンジョン探索のストレスを減らし、快適な探索行を提供しています。
そう、「当たり前」でいいんです。
少なくとも「意地悪」はマイナスにしかならないということですね。
そうしてダンジョン内での移動のストレスを減らすことで、
ただのお使いイベントというストレスが軽減されるわけです。
そして大切なのはメリハリ。
例えばゴシックの場合、「次にあそこに行け」「あいつに会え」といった、
目的地へ移動するだけのお使いが多かった。
これは本当につまらないです。明確にフラグ立てであることが分かってしまうと、
恐ろしい勢いでゲームへの熱が醒めます。
では「円卓の生徒」ではどうなっているかというと、
目的地への道中に中ボスを配置してみたり、移動に仕掛けを用意してみたりと、
クエスト中にもイベントが盛り込まれています。
それだけのことで、ただのお使いが「冒険」に変わるんです。マジで。
クエストを提示したら、あとは目的を達成するだけでは、驚きも何もありません。
そこに至るために予想外のサプライズを用意することで展開にメリハリが生まれ、
退屈な道中に彩を添える結果になるのです。
そうすると、ただの一本道のお使いゲームが、
先が楽しみな冒険ゲームに変貌するわけです。
ユーザーを意識したゲーム作りができているかというのは、
こういう部分を見ればすぐに分かります。
そして、「お使い」という要素にも、良いものと悪いものがあるということを、
ゲームを…特にRPGを作ってる方々には、きちんと意識して欲しいですね。
とりあえず、「円卓の生徒」は面白い!
じっくりとキャラを育てるRPGが好きな人にオススメします。
いやー、楽しいなぁ! 凄く楽しいなぁ!
最初からマスターモードで始めたせいで、雑魚が異様に強いから、
地道にキャラを育てながら、少しずつ探索しているのだけど、
戦闘の緊張感と、こちらが着実に強くなっているのを実感できて、
物凄く「冒険してる」という感じがする。
RPGって、こういうものだよね。
で、このゲーム、以前に私がエルミナージュ・ゴシック等で散々ダメ出しした、
いわゆる一本道のお使いゲームなんですが、ゴシックと違って、超楽しいです。
この違いはどこからきているのでしょうか?
まず、そもそもゲームとしての構造の問題もあります。
ゴシックの問題点は、ダンジョンの無意味な意地の悪さでした。
小部屋と扉を大量に配置して方向感覚を狂わせようという意図ばかりが先行し、
ダンジョン探索の楽しさよりも面倒くささばかりが前面に出てしまう、
ダンジョンデザインの杜撰さと底意地の悪さがまずかった。
これは「剣と魔法と学園モノ。2」にて、
ダンジョンの十字路のことごとくに回転床を無駄に仕掛けるという、
単に意地が悪いだけの構造にしたため、探索させる気を失せさせたのと同じ過ちです。
「円卓の生徒」は特別な何かをしているわけではありません。
ありませんが、ダンジョンが無駄で無意味な構造をしていないという、
ただ当たり前のことを当たり前にやっていることで、
ダンジョン探索のストレスを減らし、快適な探索行を提供しています。
そう、「当たり前」でいいんです。
少なくとも「意地悪」はマイナスにしかならないということですね。
そうしてダンジョン内での移動のストレスを減らすことで、
ただのお使いイベントというストレスが軽減されるわけです。
そして大切なのはメリハリ。
例えばゴシックの場合、「次にあそこに行け」「あいつに会え」といった、
目的地へ移動するだけのお使いが多かった。
これは本当につまらないです。明確にフラグ立てであることが分かってしまうと、
恐ろしい勢いでゲームへの熱が醒めます。
では「円卓の生徒」ではどうなっているかというと、
目的地への道中に中ボスを配置してみたり、移動に仕掛けを用意してみたりと、
クエスト中にもイベントが盛り込まれています。
それだけのことで、ただのお使いが「冒険」に変わるんです。マジで。
クエストを提示したら、あとは目的を達成するだけでは、驚きも何もありません。
そこに至るために予想外のサプライズを用意することで展開にメリハリが生まれ、
退屈な道中に彩を添える結果になるのです。
そうすると、ただの一本道のお使いゲームが、
先が楽しみな冒険ゲームに変貌するわけです。
ユーザーを意識したゲーム作りができているかというのは、
こういう部分を見ればすぐに分かります。
そして、「お使い」という要素にも、良いものと悪いものがあるということを、
ゲームを…特にRPGを作ってる方々には、きちんと意識して欲しいですね。
とりあえず、「円卓の生徒」は面白い!
じっくりとキャラを育てるRPGが好きな人にオススメします。
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- 「円卓の生徒」が楽しすぎて困らない
- 良いお使いと悪いお使い
- エルミナージュは何故ダメになったのか?
コメント
ななしよぅ | URL | -
Re: 良いお使いと悪いお使い
円卓が気に入ったのなら同じエクスペリエンスの迷宮クロスブラッドも超オススメですね
ダンジョン探索もより楽しい名作ですよ
( 2012年10月06日 01:02 [編集] )
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Re: 良いお使いと悪いお使い
>ななしよぅさん
移植されるなら迷宮クロスブラッドだと思っていたんですけど、円卓が先でしたねー。円卓も面白いんで、全然OKですが。
今はPCや据え置きなどの、モニター前に座って遊ぶゲームはやる気が起きないので、携帯機に移植されるまで待っております。
PSVの新作って、もしや…などと夢想中ですw
( 2012年10月06日 03:59 [編集] )
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