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自分の感性を信じろ

2009年12月29日 14:44

GEOで適当にレンタルビデオやらゲームやらを見ていると、
ふと店頭で流されているゲームのデモが目に入った。

それは「エンドオブエタニティ」。
セガとトライエースの実力派同士が手を組んだ、オリジナルRPGである。

しかし、あまりにもスタイリッシュ(笑)すぎる戦闘画面に、
デモムービーが配信されるやいなやツッコミが殺到。
発売前だというのに早くもクソゲーのレッテルを貼られる始末という、
可哀想を通り越して先行き不安な作品である。

私もデモを初めて見た時は「なんじゃこりゃ」と失笑したものだが、
今日見た印象は「こりゃカッコいい」であった。
この違いはなんなんだろうか。

おそらく、今日見たデモでは戦闘のシステムの解説も入っていたので、
「ゲームはシステム」という思想を持つ私にとって、
「それは面白いかもしれないなぁ」と納得のいくものがあったのかもしれない。
あと、前回は既に多数のツッコミコメントが存在する中での観賞だったが、
今回は他者の介在が無い状態での観賞だったことも大きいかもしれない。

個人的な意見として、ゲームはリアルに近づくほどツマラなくなるものだと思っている。
映像の進化に伴ない、ゲームはよりリアルであろうとしているように見えるが、
それはゲームの利点を殺す作業に他ならない。

だからゲームはどこかにフィクションを挿入する。
それは銃で撃たれても死なないキャラクターであったり(HPの存在)、
身長の何倍もの高さを軽々跳んだりすることだったりする。
壁にぶつかってもまるで傷つかない車でもいいだろう。
そういった「ありえないこと」を楽しむために、ユーザーはゲームをするのだ。

エンドオブエタニティで散々ツッコまれていたのは「無駄なアクション」である。
たとえば、トリプルアクセルしながらマシンガンを撃つとかについてだ。
はっきりいって、確かに銃を撃つために回転する必要はまったくない。
むしろ敵の的になるとか、標的に弾が当たらないとか、現実ではマイナス要素しかない。

しかしこれはゲームなのだ。

地味に物陰から銃口だけ出して射撃するビジュアルに、誰が興奮するだろうか。
地面を這って敵の銃弾を警戒しながらジリジリ移動して楽しいのか。
確かにそれが楽しいと思う人もいるだろう。
しかしそれは、真剣勝負のプロレスを理解できる玄人のように、
極小数の嗜好でしかない。
大半の一般人は、見た目に派手なショープロレスの方が楽しめるのだ。

だから「ゲーム」であるエンドオブエタニティは、
リアルさを捨てて見た目に映えることを優先したのではないか?
わざわざ敵に向かって走り込み、スライディングしながら銃弾を叩き込んだり、
ジャンプしながら空中でクルクルと曲芸のように回転しながら、
バラバラと銃弾の雨を敵の頭上から降らせたりするのだ。
その際、ど派手に「ヒャッハー!」などと叫ばせるのも忘れてはいけない。

実に正しく「ゲーム」であるこの作品を、私は素直に「面白そうだ」と思った。
トライエース作品だけに、ストーリーはクソなんだろうなぁと思う部分はある。
一本道で自由度の低い内容なのかもしれないという不安もある。
でも、RPGは戦闘が面白ければすべて帳消しだ。
この無駄にド派手なアクションが、
しっかりとしたシステムの元で展開されるというならば、
それはそれでアリだろう、と思ったりするわけである。

てか、公式サイトで見れるバトルチュートリアルを見れば、
いちいち納得できるわけだが。
ああ、特殊移動中は無敵(自動回避)だから、
あんなに派手なアクションになってるのね。
これはアクション苦手な人も手軽に魅せプレイができて良いシステムなんじゃね?

まぁ、PS3を持ってない私は買うこともないのだけど、
もしハードがあればちょっと欲しい。
無駄にオサレなビジュアルは嫌いじゃない。むしろ大好物だ。

周囲の評判だけで自分の価値観まで曲げるというのは、なんともカッコ悪いことである。
評判を参考にするのはいい。しかし、最終判断は自分で下すべきだ。
結果、その評判が正しいものだったとしても、
自分で判断し、自分で評価を決めることには意味があるはずだ。
私はそうしていくつものクソゲーと神ゲーに出会ってきた。
自分の感性を信じることこそが、より良いゲームライフを生み出すと、私は信じている。



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