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僕らは禁忌に夢を見る

2011年06月29日 19:46

人間は「ダメ」と言われると、かえってそれをしたくなる生き物である。
しかし、同時に理性を持つのも人間で、それを思い止まるからこそ、
「社会」というものは機能し続け、今日まで人間の繁栄は続いているのだろう。

しかしそれはただ押し殺しているだけのことで、
本心では「したい! やりたい!」と全力で叫び続けているはずだ。
それもまた、人間なのだから。

だからこそ、一般に「禁忌」とされていることは、魅力に溢れている。
それらは大概が犯罪で、一度実行したが最後、もう社会では生きていけない。
しかしそこには耐え難いほどに甘い甘い蜜が滴っているのである。

抑圧しているだけでは、いつか爆発してしまう。
だからこそ、どこかで発散する必要がある。
それは別の行為で代替することだったり、
ゲームや漫画や映画などのフィクションで擬似体験することだったりする。
どこかで黒い膿を吐き出すことは、社会を維持するために必要なことなのだ。

逆に言うならば、そういったものを否定する人間こそリアルではない。

例えば犯罪を題材としたゲームを過剰に敵視する人々がいるが、
私たちはそれが犯罪だと理解した上でプレイしているのである。
そして犯罪だと理解している以上、仮にリアルでやってみたいと思ったとしても、
理性的にその衝動を押さえ込むことができる。
犯罪はゲームの中だけで十分だろうと、自分を納得させた上で、
私たちは虚構の中で暴れまわることを大いに楽しむのだ。

確かに、中にはそれがきっかけとなって犯罪に走る悲しい事例もあるだろう。
しかし、そんなことはゲームや漫画に限らず、
世の中には幾らでも助長する要素は存在する。
ともすれば、悪い友人に唆されることの方が確率は高いだろう。

むしろ虚構で発散する余地すら潰して、
彼らはどう社会を維持しようとプランを練っているのだろうか。
ただ反射的に「ダメだ」と言ってるだけでは何も解決はしないし説得力もない。
何故「それら」が存在しているのか、
需要の意味について見つめ直す必要性を重視すべきだろう。
否定とは、代替案を提示して初めて意味が生まれるのである。

僕らは禁忌に夢を見る。

しかしそれはあくまで夢で、
だからそれを夢見ることくらいは許されてもいい。



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