2017年02月27日 22:11
久しぶりにB先輩からメールが来たかと思えば、最近話題の『けものフレンズ』にハマったようで。
あの人もう、保育園に入るような子供がいるお父さんだろ…変わってなくて安心した(ぇー
さて、最短でクリアまで10時間以下という『ニーア・オートマタ』ですが、
サブクエスト探しや素材拾いが楽しくて、全然進んでません。
いやー、動きが超軽快だから、動かしてるだけで楽しいんですよねぇ。
立体的なマップを縦横無尽に走り回るパルクール状態で楽しんでおります。
あと2Bの尻のベストショットは常に追い求め続けてる(ぉ
ちなみに「ニーア」は最初のステージにセーブポイントがなく、
死んだら最初からやり直しという鬼畜仕様で、あれ、絶対にイージーでやらせるためだと思う。
イージーでオート操作にするとヤバいよ!
プレイヤーは移動するだけで、攻撃から回避までボタン押さなくても全部してくれるよ!
時々気が向いたらジャンプとかしてみると、スタイリッシュに戦ってくれるよ!
あまりに楽なので、直接攻撃以外は全部オートでやってます。超たのしー!
オート回避がメチャクチャ優秀なんで、レベル差2倍くらいあってもゴリ押しで勝てるくらい、
チート性能なオート操作ですが、正直、このゲームはこれでいいと思います。
見てるだけで戦闘が楽しいとか普通のゲームじゃありえないからね。
この「メチャクチャプレイヤーに甘い仕様」を嬉々として受け入れてる岳るの姿に、
「おいお前、『仁王』の時は甘くてダメとか言ってたじゃねーか!」などと憤る、
岳るのブログを良く読んでくれている方がいるかもしれませんねありがとうございます(ぉ
そこで今回の議題になるわけですが、ゲームには様々なジャンルがあるように、
プレイヤーが「ゲーム」に求めるものも、また様々にあるわけです。
その理由が『仁王』と『ニーア・オートマタ』への評価の違いにあります。
そもそも、この2本を買う動機を考えれば、求めるものの違いも見えてくるわけです。
例えば『仁王』を買った時、何を期待していたかというと、
『ダークソウル』と似た体験を求めていたわけです。
では、ダクソと似た体験とは何かというと、未知の領域を探索し踏破していく高揚感や、
恐ろしく強いボス敵とのスレスレの攻防、そしてそれを打ち倒す達成感、といったものです。
対して、『ニーア・オートマタ』に期待したものは何かというと、
ヨコオタロウの救いのない物語と世界観、荒廃の美を体現する美しくも儚いビジュアル、
そしてスピーディでスタイリッシュなバトル、といったところです。
この時点で、両者に求めるゲーム性はまるで違うことが分かりますね。
ダクソのような「死にゲー」と、「無双」は火と油並に別物というレベルで違うゲームなので、
当たり前のことです。
買った時点で期待していた「求めるもの」をどれだけ提供してくれたのか、
更にそれを超える「何か」があったのか?
これが最終的にそのゲームに対する個人的評価となって現れてくるわけですね。
『ニーア・オートマタ』は、ギリギリの戦闘を楽しむゲームではなく、
ド派手で気持ちのよい戦いができればそれでよく、最悪、自分が操作する必要すらありません。
それは、圧倒的なビジュアルとスタイリッシュさが、
見てるだけで多大な満足を与えてくれるからでです。
そこで「ニーア」が出した解答は、難易度を複数設けることで、
お好きなように遊んでくださいという自由さでした。
ギリギリなバトルがしたい人も、気持ちよく遊びたいだけの人も、
等しくエンディングまで辿り着けるようになっています。
そういうゲームデザインなんです。
ぶっちゃけ、キャラクターの移動さえできれば、あとは勝手に戦ってくれるので、
アクションなんてマリオのクリボーすら避けられないような人でも大丈夫です。マジで。
でもそれで面白いんだから凄いと思います。
『仁王』もまた、可能な限り誰でもエンディングに辿り着けるように作りたかったようですが、
「死にゲー」って、そういうジャンルじゃないんですよね。優しさはいらない。
プレイヤーに挑戦させる作りでなくてはいけなかったのに、そこで日和ってしまった。
日和るくらいなら、難易度を導入して、難易度変更は一度下げたらもう上げられません、
みたいな尖った作りにすればよかったのに、誰でも同じように遊べるようにしてしまった。
結果として、ボスを初見でも楽勝で倒せるようなヌルいゲームになってしまい、
「死にゲー」を求めていた岳るはガッカリすることになるのでした。まる。
両者の明暗がどこで別れたかというと、「求めるもの」を提供できたかどうか、
その1点に尽きるわけです。
しかし、あくまで「求めるもの」は個人の中だけで完結するものであり、
他人に押し付けるものではありません。
私は『仁王』は残念に思ったけど、だからといって、全てを否定するわけではないし、
それを他人に押し付けるつもりもありません。
わざわざアマゾンレビューに書き込むようなことではない、ということですねw
世の中には、大絶賛されるゲームもあれば、ネガキャン塗れで可哀想なゲームもあります。
しかし、絶賛されているからといって、誰もがそれを受け入れられるわけではなく、
また逆に、批判されているからといって、そのゲームが駄作であるとは限りません。
クソゲーと理解しながら敢えてプレイし、クソゲーであることを楽しむ人は、
「クソゲーを求めていた」わけですから、そのクソゲーは立派に需要を満たしたと言えます。
そういうニーズもあるわけです。
大切なのは、「自分はそのゲームに何を求めているのか」を考えることなのです。
以下、岳るが求めていたもの。
あの人もう、保育園に入るような子供がいるお父さんだろ…変わってなくて安心した(ぇー
さて、最短でクリアまで10時間以下という『ニーア・オートマタ』ですが、
サブクエスト探しや素材拾いが楽しくて、全然進んでません。
いやー、動きが超軽快だから、動かしてるだけで楽しいんですよねぇ。
立体的なマップを縦横無尽に走り回るパルクール状態で楽しんでおります。
あと2Bの尻のベストショットは常に追い求め続けてる(ぉ
ちなみに「ニーア」は最初のステージにセーブポイントがなく、
死んだら最初からやり直しという鬼畜仕様で、あれ、絶対にイージーでやらせるためだと思う。
イージーでオート操作にするとヤバいよ!
プレイヤーは移動するだけで、攻撃から回避までボタン押さなくても全部してくれるよ!
時々気が向いたらジャンプとかしてみると、スタイリッシュに戦ってくれるよ!
あまりに楽なので、直接攻撃以外は全部オートでやってます。超たのしー!
オート回避がメチャクチャ優秀なんで、レベル差2倍くらいあってもゴリ押しで勝てるくらい、
チート性能なオート操作ですが、正直、このゲームはこれでいいと思います。
見てるだけで戦闘が楽しいとか普通のゲームじゃありえないからね。
この「メチャクチャプレイヤーに甘い仕様」を嬉々として受け入れてる岳るの姿に、
「おいお前、『仁王』の時は甘くてダメとか言ってたじゃねーか!」などと憤る、
岳るのブログを良く読んでくれている方がいるかもしれませんねありがとうございます(ぉ
そこで今回の議題になるわけですが、ゲームには様々なジャンルがあるように、
プレイヤーが「ゲーム」に求めるものも、また様々にあるわけです。
その理由が『仁王』と『ニーア・オートマタ』への評価の違いにあります。
そもそも、この2本を買う動機を考えれば、求めるものの違いも見えてくるわけです。
例えば『仁王』を買った時、何を期待していたかというと、
『ダークソウル』と似た体験を求めていたわけです。
では、ダクソと似た体験とは何かというと、未知の領域を探索し踏破していく高揚感や、
恐ろしく強いボス敵とのスレスレの攻防、そしてそれを打ち倒す達成感、といったものです。
対して、『ニーア・オートマタ』に期待したものは何かというと、
ヨコオタロウの救いのない物語と世界観、荒廃の美を体現する美しくも儚いビジュアル、
そしてスピーディでスタイリッシュなバトル、といったところです。
この時点で、両者に求めるゲーム性はまるで違うことが分かりますね。
ダクソのような「死にゲー」と、「無双」は火と油並に別物というレベルで違うゲームなので、
当たり前のことです。
買った時点で期待していた「求めるもの」をどれだけ提供してくれたのか、
更にそれを超える「何か」があったのか?
これが最終的にそのゲームに対する個人的評価となって現れてくるわけですね。
『ニーア・オートマタ』は、ギリギリの戦闘を楽しむゲームではなく、
ド派手で気持ちのよい戦いができればそれでよく、最悪、自分が操作する必要すらありません。
それは、圧倒的なビジュアルとスタイリッシュさが、
見てるだけで多大な満足を与えてくれるからでです。
そこで「ニーア」が出した解答は、難易度を複数設けることで、
お好きなように遊んでくださいという自由さでした。
ギリギリなバトルがしたい人も、気持ちよく遊びたいだけの人も、
等しくエンディングまで辿り着けるようになっています。
そういうゲームデザインなんです。
ぶっちゃけ、キャラクターの移動さえできれば、あとは勝手に戦ってくれるので、
アクションなんてマリオのクリボーすら避けられないような人でも大丈夫です。マジで。
でもそれで面白いんだから凄いと思います。
『仁王』もまた、可能な限り誰でもエンディングに辿り着けるように作りたかったようですが、
「死にゲー」って、そういうジャンルじゃないんですよね。優しさはいらない。
プレイヤーに挑戦させる作りでなくてはいけなかったのに、そこで日和ってしまった。
日和るくらいなら、難易度を導入して、難易度変更は一度下げたらもう上げられません、
みたいな尖った作りにすればよかったのに、誰でも同じように遊べるようにしてしまった。
結果として、ボスを初見でも楽勝で倒せるようなヌルいゲームになってしまい、
「死にゲー」を求めていた岳るはガッカリすることになるのでした。まる。
両者の明暗がどこで別れたかというと、「求めるもの」を提供できたかどうか、
その1点に尽きるわけです。
しかし、あくまで「求めるもの」は個人の中だけで完結するものであり、
他人に押し付けるものではありません。
私は『仁王』は残念に思ったけど、だからといって、全てを否定するわけではないし、
それを他人に押し付けるつもりもありません。
わざわざアマゾンレビューに書き込むようなことではない、ということですねw
世の中には、大絶賛されるゲームもあれば、ネガキャン塗れで可哀想なゲームもあります。
しかし、絶賛されているからといって、誰もがそれを受け入れられるわけではなく、
また逆に、批判されているからといって、そのゲームが駄作であるとは限りません。
クソゲーと理解しながら敢えてプレイし、クソゲーであることを楽しむ人は、
「クソゲーを求めていた」わけですから、そのクソゲーは立派に需要を満たしたと言えます。
そういうニーズもあるわけです。
大切なのは、「自分はそのゲームに何を求めているのか」を考えることなのです。
以下、岳るが求めていたもの。