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【劇場版なのは】ムービー1と2の明暗

2012年07月18日 18:26

昨日はムービー2の感想を書いた勢いでムービー1を改めて観直したりしてました。

うん、ムービー1の完成度が高すぎてヤバイ。

初めて観たわけでもないのに、なんか凄い勢いで泣いてた。
そりゃもう自分でドン引きするくらい。
劇場で観た時も結構遠慮なく泣いてたんだけど、
やっぱり自宅で観るとリミッターが解除されるというか、
マジで声出して泣くとは思わなかったよ。

別に泣ける作品が良い作品というわけではないのだけれど、
「なのは」は優しい物語だから、涙腺崩壊を期待しちゃうわけで。
そういう意味では、ムービー2はちょっと物足りない感じなのでした。

や、掛け値なしに面白いのは事実なんだけど、
この差がどこで出てるのか、ちょっと不思議だったので、
自分なりに分析してみたり。
暇なのか、自分。

どうしてもネタバレを含んでしまうので、続きは追記で。


以下、フェイトとはやての境遇の差

まず、ムービー1で何であそこまで泣いてしまったのかを考えてみましょう。

最も号泣したのは、フェイトがなのはの名前を呼ぶラスト一連の流れです。
あの場面は、それまで何一つ幸せを掴めなかった少女が、
初めて大切な友人を手に入れるという素敵な場面だったわけです。

で、フェイトというキャラクターを考えた場合、
彼女は常にマイナスなんですよ。ゼロですらない。

作中、すでにプレシアからの愛を失っているフェイトは、この時点でマイナスです。
それでいて、更に作中で2度の折檻を受け、
トドメとして拒絶の言葉を浴びせかけられる。

フェイトがプレシアに何も期待していないのであれば、
これらはただのプレシアの暴挙で片付いたのですが、
フェイトはプレシアに完全に依存していたこともあり、
悲劇性は加速度的に跳ね上がってしまったわけです。

つまり、ムービー1におけるサブヒロインであるフェイトは、
とにかく可哀想な存在であり、視聴者の同情を一心に集めることに成功していました。

そんなフェイトが、なのはの言葉で立ち直り、
心癒されていく姿は本当に微笑ましくて、暖かい気持ちが込みあがってくるのです。
それまでのマイナスの積み重ねが一気にプラスに転じた反動が、
ラストでの号泣に繋がったのではないかと思うわけですよ。

対して、ムービー2のサブヒロインであるはやては、
確かにプラスではないものの、かといってマイナスでもありません。
プラスマイナスゼロというのが正しい。

彼女は孤独ではあるものの、その環境に絶望しているわけでもなく、
あのまま日常を過ごしていれば、仲の良い友人(なのは達)もできて、
それなりに幸せな時間の中で最期を遂げられたキャラクターです。
別にヴォルケンズは居ても居なくても、
はやての人生は少なくともマイナスにはなりません。

ここがムービ-2最初の失敗
というのも、本来であれば、はやての現状はグレアムが管理しているため、
どう足掻いても平穏な最期は望めない境遇にあるはずでした。

が、グレアムの存在を完全に抹消したことで、
「闇の書の主として覚醒せずに死ぬ可能性」が出てきたわけです。
もしかしたら、ヴォルケンズに看取られて死ぬ運命もありえたのと、
そしてそれは決して、はやてにとって不幸なことではない、というのが、
はやてというキャラクターから悲劇性を薄めてしまった要因なのではないかと。

ムービー1のフェイトの例を見れば分かるように、
涙腺を崩壊させるための前準備として重要なのは、
とにかく悲劇的なキャラクターの存在です。
そういう意味では、ムービー2のはやては悲劇のヒロインと呼ぶには、
少々環境が生ぬるいものになってしまっていたな、と思えます。

では、ムービー2で涙腺を崩壊させるには、どうするべきだったかというと、
ヴォルケンズをもっと追い詰めるべきでした。

あの騎士たちの境遇は、本当に不幸で不憫でドン底で、
そんな中で出会ったはやてという光明を、彼女たちは本当に大切に想っています。

つまり、ヴォルケンズの始まりはマイナスであり、
更に劇中ではやての病を知るというマイナスイベントも経験し、
彼女たちの境遇は限りなく底辺に位置していたわけです。

が、肝心のヴォルケンズの掘り下げが足りませんでした。
これがムービー2二つ目の失敗。

彼女たちの過去が、いかに悲惨なものであったのか、
つまり、ヴォルケンズのマイナス要因を、もっと全面に押し出す必要があったのです。
劇中で少しだけ描写されましたが、
欲を言えばドラマCDで語られたヴォルケンズの過去描写を再現してくれれば、
彼女たちの境遇の悲惨さを視聴者に十分伝えることができたはずです。
劇中のあのワンカットだけでは明らかに足りていません。

ヴォルケンズのマイナスぶりのアピールポイントが奪われた場面もあります。
それはムービー2においては、はやてが入院した後で、
ヴィータが巨大生物から蒐集する場面でのセリフ。

「はやてはもっと痛いんだ。だからこんなの全然痛くねぇ!」

個人的に、これは非常に残念な改変でした。
時系列の入れ替えにより、この場面の前にはやてが入院してしまったため、
セリフの内容を変えざるをえなかったのは分かります。
が、TV版のセリフはこうです。

「帰ったら暖かいお風呂とはやてのご飯が待ってんだ。
優しいはやてがニコニコ待っててくれるんだ。
そうだよ、あたしはすっげー幸せなんだ。
だからこんなの、全然痛くねぇ!」

分かりますか?
ヴォルケンズにとって、痛みや苦しみは過去に十分すぎるほど味わってきたものであり、
それに耐えられるのは当たり前のことです。

しかしTV版のセリフだと、ヴィータは今の幸せにすがり付いてる印象を受けます。
はやてへの想い、はやてを失うことの恐怖、今の幸福な時間、
そういった様々な感情を想像させる素晴らしいセリフだったんですが、
それがムービー2では非常に薄っぺらい、
額面通りの意味を持つだけのセリフになってしまいました。

マイナススタートのヴォルケンズがようやく得た幸福と、
それを失うかもしれない絶望。そして、はやてへの依存。
こういう細かいセリフの中だけでも、それを感じさせることができたはずです。
そしてより強く、ヴォルケンズの悲劇性を深めることもできたのではないでしょうか。

悲劇性をヴォルケンズに担当させることで、
はやてにはヴォルケンズの光となる、
フェイトとは違うヒロイン像を確立できたはずなのですが、
やっぱり尺の都合だったんですかねぇ。惜しい。

…とまぁ、「泣き」という観点から見ると、ムービー2はやや弱いんですよね。
あくまでも、はやてを「泣き」の中心に添えようとして失敗したと言いますか。
や、ラストシーンは素晴らしかったんで、失敗というのは言いすぎですが。

ただ、物語を簡略化させることで、
「闇の書」の禍々しさをより強く表現することには成功してますし、
ストーリーもすんなりと理解できるレベルにまで引き下げられているように思います。
何より、全体としてのクオリティは文句なく最高レベルです。

誤解しないで欲しいのは、
「だからムービー2は駄作だ」と言ってるわけではないということ。
これもまたTV版とは違う物語として楽しめる、極上のエンタメだと思っています。

つーか、TV版の完成度が高すぎるんですよ。
1期はムービー1観たら見る気がしませんが、
2期はムービー2を観た後にこそ見て欲しい作品です。
もう本当に、削る余地が見出せなくて途方に暮れますから。
あの改変はマジで英断でしたよ。
約一名、「俺のグレアム提督ドコー?(´・ω・`)」と泣いていた先輩も居ましたが、
まぁどうでもいいですね(ぉ

とりあえず、来週にでももう1度観て来る予定なんで、
その時はまた、違うものが見えてくるかもしれません。
やっぱり最初はあまり深く考えずに観たいものね。
それで意見が変わるようなら、また記事にでもしますよってに。

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