フィクションにおけるリアルの度合いの重要性

2016年08月30日 07:40

今やってる『甘々と稲妻』を見てたら、『うさぎドロップ』が見たくなったので、再見。
やっぱりいいわー。おっさんと幼女の組み合わせは至高。
JK編も私は好きですけど、まぁ2期はないだろうなあ。リンの最後のセリフだけが見どころだし。

私も甥やら姪やらができたので、リアルおガキ様と接する機会が増えたわけですが、
そういうリアルに触れると、またフィクションでの描写が違って見えるのが面白いですね。

「うさドロ」のリンちゃんなんて完全に虚構だけど、レーナちゃんは割とリアルなのよな。
いやマジで、あんなに聞き分けがよくて頭もいい子供なんていないから。
でも、だからこそ「物語」として面白くなってるんですよねぇ。
まぁ、子供ってバカに見えるけど、実は大人が思ってる以上に賢いんで、
迂闊なことはしない(言わない)方がいいよ。

フィクションはウソだらけにすると厚みがなくなって薄っぺらくなるけれど、
だからといってリアルへリアルへと寄せすぎると、せっかくの「ウソ」が楽しめなくなります。
つまり、どこかにリアルを混ぜながら、適度にウソをついていくのが良い創作です。

ガルパンを例に挙げると、戦車の挙動や造形へのこだわりがリアルな分、
挙動の中にウソも混ぜつつ、部隊装置として「特殊カーボン」という大ウソを使用してます。
この豪快なウソと繊細な描写・表現のミスマッチ感こそ「バランス」です。
もし戦車の描写に手抜きがあれば、すぐに「警察」が騒ぎ立てるものですが、
それを許さない徹底したリアルの追求があればこそ、マニアすら唸らせる作品になっているし、
その土台があればこそ、無茶な挙動も許容されているわけです。
「それが無理だと分かってるけど敢えてやってる」のが伝わるからですね。

話が逸れました。
「うさドロ」の場合、リンという「ウソ」を用意する代わりに、「レイナ」というリアルと対比させることで、
作品の説得力を生むと同時に、リンというキャラクターの魅力を強めることに成功してます。
これは改めて見るとよくできてるなあと感心するばかりです。

あと、ダイキチの両親の反応とかもリアル。あれ、ウチの親と同じだわw
あれだけ引き取るのを渋ってたのに、その後の反応が図々しいと思う人も多そうだけど、
当事者でなければ可愛い孫ができたようなもんだから、そりゃそうなりますよ。
リンちゃんは大人しくて聞き分けもいいから、尚更可愛いだろうしね。

こういったリアルとウソのバランスというのは、フィクションにおける重要な命題のひとつです。
「この作品、なんかつまんねーな」と思ったら、この「バランス」に注目してみるのもいいかも。
リアルを取り入れるということは、その作者の取材力も試されるので、
文章力や表現力だけではどうにもならない部分が浮き彫りになるのです。
中途半端な知識でリアル感を出そうとすると、火で炙ったら鉄が溶けたりしちゃうんですよ(ぉ

ウソすぎても醒めてしまうけど、リアルすぎると面白味が消える。
このさじ加減をどうするかが、作家さんの腕の見せ所なのかもしれませんね。

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