2009年05月31日 11:30
「勇者30」のラスト直前の泣きイベントで、見事に泣かされた私ですが、
ちょっと思ったことがありまして。
私は涙腺が本当に緩くて、ちょっと感動シーンを見るとすぐ涙が出てしまいます。
ただ、だからといって、なんでもかんでも泣くわけでもありません。
明らかに泣かせにきているシーンであっても、何故か感情移入できず、
どこか冷めた目で「茶番」に見えてしまう時もあるんですよね。
この差はどこからくるんでしょう?
まず、私が泣きやすいことの理由は自分で理解していまして、
前述の通り、感情移入しやすいことに原因があります。
その時のキャラクターの心情を自分の中に投影し、
より深く、そのキャラの想いを感じ、情景をより鮮明に頭の中でイメージするのです。
私は最近はサッパリですが、以前は死ぬほど小説を読む人だったので、
そういうイメージ構築を自然と行うようになっているのでしょう。多分。
しかし中には、そういう境地に至らない場合があります。
そういう時に茶番に感じてしまうわけですね。
つまりは「感情移入できるかどうか」が、泣けるか茶番になるかの境界。
では、感情移入できるかどうかの基準はどこにあるかというと、
キャラクターの心情変化・及び物語の展開が自然であることが
重要なのではないかと。
たとえば、対立していた二者が、唐突に仲直りするのは不自然ですよね。
そういった不自然さを感じた瞬間、その物語からリアルが失われ、
感情移入の機会を失うのだと思います。
逆に、流れが自然であれば、キャラクターの心情に己をシンクロさせやすくなり、
感情移入も容易になるのではないかな、と。
あとは、キャラクターを等身大に感じることができるかどうか、ですかね。
どこかに弱みがあるほうが人間らしいじゃないですか。
たとえ超人が主人公であっても、どこかで脆さを感じることができれば、
そこから理解が深まることもあると思います。
まぁ、こんな風に単純に書いてはいますが、
実際にはもっと色々と複雑な思考過程があるんでしょう。
それをすべて理解できるほど、私は自分を理解できてないので、
とりあえずの結論としては、こんなものですかね。
泣くことはストレス解消にもなるそうなんで、みんなももっと泣けばいいよ!
ちょっと思ったことがありまして。
私は涙腺が本当に緩くて、ちょっと感動シーンを見るとすぐ涙が出てしまいます。
ただ、だからといって、なんでもかんでも泣くわけでもありません。
明らかに泣かせにきているシーンであっても、何故か感情移入できず、
どこか冷めた目で「茶番」に見えてしまう時もあるんですよね。
この差はどこからくるんでしょう?
まず、私が泣きやすいことの理由は自分で理解していまして、
前述の通り、感情移入しやすいことに原因があります。
その時のキャラクターの心情を自分の中に投影し、
より深く、そのキャラの想いを感じ、情景をより鮮明に頭の中でイメージするのです。
私は最近はサッパリですが、以前は死ぬほど小説を読む人だったので、
そういうイメージ構築を自然と行うようになっているのでしょう。多分。
しかし中には、そういう境地に至らない場合があります。
そういう時に茶番に感じてしまうわけですね。
つまりは「感情移入できるかどうか」が、泣けるか茶番になるかの境界。
では、感情移入できるかどうかの基準はどこにあるかというと、
キャラクターの心情変化・及び物語の展開が自然であることが
重要なのではないかと。
たとえば、対立していた二者が、唐突に仲直りするのは不自然ですよね。
そういった不自然さを感じた瞬間、その物語からリアルが失われ、
感情移入の機会を失うのだと思います。
逆に、流れが自然であれば、キャラクターの心情に己をシンクロさせやすくなり、
感情移入も容易になるのではないかな、と。
あとは、キャラクターを等身大に感じることができるかどうか、ですかね。
どこかに弱みがあるほうが人間らしいじゃないですか。
たとえ超人が主人公であっても、どこかで脆さを感じることができれば、
そこから理解が深まることもあると思います。
まぁ、こんな風に単純に書いてはいますが、
実際にはもっと色々と複雑な思考過程があるんでしょう。
それをすべて理解できるほど、私は自分を理解できてないので、
とりあえずの結論としては、こんなものですかね。
泣くことはストレス解消にもなるそうなんで、みんなももっと泣けばいいよ!
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