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東方SS「Elixir」

2009年12月16日 00:37

当初、漫画用に考えていたものでしたが、諸事情によりお蔵入りしてしまったので、
せっかくだからSS化してリサイクル。
紅楼夢などで配ったコピー本版から大幅に加筆修正した完全版となっています。

フランドールの翼の秘密、レミリアがフランドールを幽閉した理由、
咲夜さんの過去、そしてパチュリーの思惑…。
紅魔館の面々の過去を描いた、岳るの妄想が炸裂したダークストーリー。
ほのぼのした話を求めてる人はご遠慮ください。あと、俺設定注意。

気が向いたら挿絵とか追加できるといいなぁ。


以下、本編

                     「Elixir」

                                      著:岳る



                      


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
 少女は繰り返す。謝罪の言葉を。誰に向けるわけでもなく、ただ虚空に向かって、懺悔のように許しを請い続けていた。
 少女は、眼前に見える大きな館の周囲にある植え込みのひとつに身を隠しながら、館の入口に当たる紅に塗られた重厚な両開きの扉を、まばたき一つせずにじっと見つめていた。右手には月光を照り返す磨き抜かれた銀のナイフ。左手には古ぼけた懐中時計を握り締め、口からは微かに懺悔の言葉を呟きながら、少女は何かを待っているようだった。
 やがて、月が中天に差し掛かり、闇夜の中にさぁっと光が広がった。庭を彩るとりどりの花が月明かりに浮かび上がり、月光の中で踊るように揺れる。
 と、それまで沈黙を続けていた紅の扉が重々しい音を立てながらゆっくりと開いた。そして扉の影から二つの人影が姿を現した。まだ十に満たないような童女が二人。夜中に出歩くには不自然なほどに幼い二人の少女の背には、これもまた不釣合いに大きく禍々しい蝙蝠の皮膜状の翼が生えていた。
 ――吸血鬼。
 伝承の中にのみ伝わる悪鬼はしかし、その異形の翼さえなければ、どこにでもいる子供と違わぬ容姿を備えていた。ひとりは舞踏会にでも出るような白くゆったりとした優美なドレスを纏い、ひとりは動き易そうな赤いブラウスにミニスカートと対照的だ。二人は仲むつまじく笑いながら、くるくると踊るように夜道を歩いていく。姉妹なのだろうか、どこか似た顔立ちの二人は、互いに手を取り合って、夜道の散歩を楽しんでいるようだった。
「ごめんなさい」
 カチリ。
 小さな音が、植え込みに隠れていた少女の握る懐中時計から微かに響いた。
 同時に、世界からあらゆる音が消えた。いや、音だけではない。空気の流れ、光の波長、そういった目に見えない現象すらも、その場に留まり停止していた。
 懐中時計を媒介に少女の意志が空間を侵食していく。鮮やかな色彩が灰色の波に飲まれるように、空間そのものが少女の支配下に置かれてゆく。そして少女の意志が世界に満ちた時、世界の時間は彼女のものとなった。
「ごめんなさい」
 音もなく、色さえ褪せて、一切が停止した世界で、唯一、少女だけが色彩を持ち、少女の声だけが世界を震わせた。そして何者も動くもののない世界で、少女だけが悠然と歩み続ける。少女は吸血鬼の姉妹へと近寄り、そして、
「ごめんなさい」
 何度繰り返したか分からないその懺悔の言葉を最後に、少女は銀のナイフを握る手に力を込めた。

                     Ⅰ

 ドンドン! ドンドンドン!
 扉を叩く音が聞こえる。窓から差し込む月明かりを見るに、まだ夜が明けるには早すぎる時間である。
 ドンドン!
 扉を叩く音はやむことがなく、同時に焦りを帯びた悲鳴に似た声が重なった。
「噂に名高い知識の魔女よ! どうか貴方の知恵を貸して欲しい!」
 真夜中の来訪者としては、やけに幼い声にいぶかしみながらも、ベッドに横たわっていた少女はやれやれと腰を上げ、ガウンを羽織ると、不機嫌そうに立ち上がった。
「無粋な客だわ」
 樫の扉をぶち破らんばかりの勢いで叩き続ける騒音に、不快感もあらわに少女は真夜中の訪問者に問うた。
「どちらさま?」
「私は紅魔館が主、レミリア・スカーレット。高名なる知識の魔女の叡智を拝借したく、無礼を承知で訪れた次第。どうか私の話を聞いてはくれまいか」
(! スカーレットデビルが何故ここに…)
 紅魔館の〝鮮血の悪魔〟の噂は有名だった。人々の間ではもはや幻想に消えかけた御伽噺にすぎないが、知識の魔女と呼ばれたこの少女――パチュリーもまた〝魔女〟という人の理から外れた存在である。人間の記憶からは消えようとも、人ならざるものの間では、幻想こそが真実を内包するのだ。
 その中でもスカーレットデビルは特別大物だ。なにせ幻想に消えかけてもなお人の心に畏怖をもたらす〝吸血鬼〟なのだから。そんな大物が辺境にひっそりと居を構える魔女のもとに自ら足を運ぶなどとは、いったいどれほど火急の用件であろうか。
 下手に逆らえばどうなるか分からない。少女は嘆息し、観念した面持ちで扉を開けた。するとそこには、スカーレットデビルの名に相応しく、全身を血で真っ赤に染めた少女が立っていた。彼女がレミリア・スカーレットなのだろう。背に負う蝙蝠状の翼が、彼女が明らかに人間でないことを主張している。しかしどうやら、レミリアが浴びた血は、彼女が抱く人物からあふれ出たものであるようだった。レミリアの腕の中で弱々しく震える少女は、今にも死に掛けているのが見て取れる。ダラリと垂れ下がった蝙蝠の皮膜状の翼から、この少女もまた吸血鬼のようであるが…。
「知識の魔女よ、頼む」
 レミリアの言葉に意識を引き戻されたパチュリーは、己に向けて頭を垂れる吸血鬼の姿を見て驚いた。相手は伝承に恐れられる悪魔なのである。倣岸にして不遜。他者に屈するを恥とする闇の貴族。それが辺境の魔女に頭を下げる?
 次に続いた言葉もまた、パチュリーには理解し難いものであった。
「妹を……フランドールを助けてくれ」

                     Ⅱ

 レミリアを室内に招くと、パチュリーは彼女が抱いていた妹――フランドールを床に降ろさせた。
 フランドールは苦しげに荒く息をつき、時折、喉元に詰まった血液を咳と共にゴボリと吐き出していた。胸元に突き刺さったナイフが、彼女の心臓を正確に貫いているのだ。人間であれば即死の傷であるが、それでもまだ息があるという事実が、この少女もまた人外の存在であることを証明していた。
 もちろん、吸血鬼は心臓を破壊された程度で致命傷を負うことはない。フランドールがこうなっている原因はナイフにあった。
「銀のナイフ…それも聖別された特別製。ご丁寧に退魔の術式まで刻まれている。念の入ったことね」
 銀という金属には、魔を祓う力が宿るとされている。事実それは魔の力を弱め、阻害する。ただし、吸血鬼クラスの強大な者であれば、多少の傷は即座に再生することができるため、さしたる脅威にはなりえない。しかしこのナイフの刃には魔法使いが使用する魔術文字が刻まれており、その術式が、銀の持つ魔を祓う力を極限まで強め、吸血鬼の脅威の再生力を凌駕する速度で、細胞を死滅させているのだった。
 吸血鬼はどれだけ傷を受けても甦ってくる。それは心臓を潰しても同じことだ。ただしそれは実際には「破壊されていない」ためである。吸血鬼には普通の武器は通用しない。しかし外見上は切断し、粉砕することはできる。だがそれは見た目だけの話であり、実際にはかすり傷すら付けることができていないのである。つまり心臓を潰しても「実は潰されていない」ゆえに、まるで不死身の化け物のように甦って見えるだけのことなのだ。
 吸血鬼を滅ぼそうとするならば「傷つける手段」が必要である。もしそれを用意できたなら、吸血鬼は人間を土台とする存在であるため、急所は人間に準じ、脳や心臓といった重要器官を再生不能な状況に追いこむことで、吸血鬼といえど殺すことができる。
 ただし、吸血鬼を傷つけることができたとしても、彼らの尋常ではない再生能力をどうにかしない限り、結局のところ吸血鬼は不死身に近い存在なのであるが。
 このナイフはその二つの難題を突破する能力を持っていた。吸血鬼に傷を付ける力と、再生を妨害する力。その上で急所を貫いているのだから、吸血鬼であろうとこれはまさに「致命傷」なのであった。
 パチュリーは頭を振ると、冷徹な事実を告げた。
「処置なしだわ」
「ふざけるな!」
 パチュリーの言葉に激昂したレミリアは、魔女の胸倉を掴みあげると、そのまま壁に押し付けるように叩き付けた。パチュリーの細い身体が跳ね、ゴホと咳き込む。
「貴様はこの世の叡智のすべてを身に宿す知識の魔女だろう。何かあるはずだ! 考えろ!」
 怒りに吼えるレミリアを前にしても、パチュリーはその表情を変えなかった。ボソボソと呪を唱えると、掌をレミリアの胸元に当てる。するとパチュリーの掌から閃光が迸り、レミリアを直撃した。バチンと何かが弾けるような音と共にレミリアが吹き飛ばされる。バチバチと雷光のように弾ける魔力の残滓を掌に纏わせながら、パチュリーは冷たい声音で言った。
「私の機嫌を損ねるものではないわ、スカーレットデビル。貴方は自分ではどうすることもできなくて、私の力を借りに来た、そうでしょう?」
「……ッ! だが、偉そうにしたところで、貴様にはどうすることもできないのだろう!」
「この傷を癒すという意味では『処置なし』と言ったけど、助ける方法ならあるわ」
 レミリアの表情が変わった。そう、パチュリーにはフランドールの命をつなげる「奥の手」がある。ただ、レミリアの言う通りに従うだけでは自分に利がないと懸念したパチュリーは、わざと挑発的な物言いをしたのだった。相手は悪魔なのだ。恩などという不確かなものを信じることはできない。あくまで立場は対等なのだと示すことで、スカーレットデビルとのパイプを作ろうと、パチュリーは画策したのである。身体的に脆弱な魔法使いにとって、強大な後ろ盾の存在は魅力的なものであったのだ。
 問題は、フランドールを救う、その方法であるが……。
「ただし、それは自然の理を歪める外法よ。ゆえに相応のリスクは覚悟してもらうわ。助かるとも限らないし、一命を取り留めても元のままでいられる保障もない」
 そこまで言うとパチュリーは、部屋の奥にある本棚の前に移動した。そして、その中の一冊の本を抜き出すと、その本を空いていた別の棚に移し変えた。すると、微かな振動と共に、本棚が横へとスライドし、その後ろに隠されていた地下へと続く階段が姿を現した。微かな冷気が漏れ出でて、その先にある不吉なものを予感させる禍々しさに満ちている。
 パチュリーは地下への通路を指差して、レミリアに問うた。
「それでもいいなら、ついてきなさい。知識の魔女の真髄を見せてあげるわ」
 ひ弱そうな魔女の突然の強気な態度に面食らっていたレミリアであったが、その言葉にニヤリと乱杭歯を剥き出して笑った。
「他に手がないのも事実だ。提案に乗ろう、知識の魔女よ。ただし、悪魔にウソをつくと、高い代償を払うことになるよ」
「代わりに得られるものも大きいと期待するわ」
「いい度胸だ」
 レミリアがフランドールを担ぎなおすのを確認し、パチュリーは階段を降り始めた。深くまで続く地下への道は澱んだ空気を湛え不安を煽る。レミリアにはパチュリーの真意はつかめなかったが、最愛の妹を助けるには、今はこの魔女に頼るしかないのだと言い聞かせ、後に続いて地下へと歩を進めるのであった。

                     Ⅲ

 石造りの階段は、かなり深くまで続いていた。にも関わらず、道中で湿気を感じることはなく、一定の温度が保たれているようだった。空気の流れも正常で、息苦しくなることもない。ここが何かを保管する目的で作られたことと、パチュリーが定期的に通っているのであろうことは推測できたが、その先に何があるのかまではレミリアには予想できなかった。
(本当にこの先に、フランを救う手があるの…?)
 レミリアが不安を感じ始めた頃、階段の終わりに大きな扉が見えた。パチュリーが重そうにその扉を開ける。するとそこは巨大な図書館であった。降りてきた長さを証明するように、恐ろしく高い天井を持つ広大な空間が地下に広がっていた。そこには何台もの上が見えないほど高い本棚が置かれ、それぞれにギッシリと書物が詰め込まれている。入りきらないのか、床にそのまま積んであるものも数多い。
 驚くレミリアを気にするでもなく、パチュリーは更に奥へと歩みを進める。すると本棚の森の奥深くに、巨大な図書館には少し異質な小さな部屋があった。そこには幾つもの書物に混じり、何かの実験機材も見受けられる。どうやら何かの研究部屋のようだ。
 パチュリーはレミリアに部屋の中に設えられたベッドにフランドールを寝かせるように指示すると、本人は部屋の中央に恭しく置かれたガラス容器へと近付いていった。
 容器の中には、飴玉程度の大きさの石とも金属ともつかない物体が浮いていた。パチュリーは慎重にそれを取り出すと、レミリアに見せるように目の高さに掲げた。
「これを使うわ」
「それは?」
「賢者の石よ」
「賢者の石…これが?」
 話では聞いたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。曰く、鉛を金に変える。曰く、あらゆる病を癒すことができる。曰く…。
「これを心臓の代替として埋め込むわ」
「! そんなことをして大丈夫なの?」
「さあ? ただ、根拠なしに試すわけではないわ」
 パチュリーが語るには、賢者の石とは一般に伝わるような代物ではないらしい。これはあらゆる事象に干渉し、効果を高める「増幅器」なのだという。小さな炎を爆炎に変え、氷の一粒を氷山へと変貌させる。そして人の治癒能力に干渉させれば、吸血鬼並の再生力を再現することもできるのだとか。
「ただし、無から有を生み出すことはできない。再生力をどれだけ高めても切断された腕は生えてこないし、炎を氷に変えるようなこともできないわ。だから賢者の石の力でこの子の傷を癒すことはできない。もうこの子の心臓はほとんど失われてしまっているから」
 パチュリーが視線をフランドールへと移す。今なお苦しげに喘いでいる吸血鬼の少女は、今にも消えようとする命に必死にしがみついているようであった。
「心臓がほとんど失われているのに、まだこの子が生きているのは何故だと思う?」
「……」
「それは、あなた達吸血鬼が、より幻想に近い存在だからよ。確かにあなた達の脳や心臓は人間に似た機能を有し、急所として存在している。けれどその在り様は人間とはまるで違う。あなた達の心臓とは、血液を循環させるための器官ではない。『存在を維持するための器官』なの」
「何を言いたいのか理解できないわ」
「つまり、あなた達の心臓とは、生命力そのものを生み出す装置である、ということよ。だから心臓としての機能を果たせていなくても、微かに残る生命の残り香だけでしばらくの間は活動できるのね。今のこの子のように」
 パチュリーは言う。人間の振りをするために心臓の形をしているだけの代物が、別の『何か』に置き換わったとしても、役割が同じである以上、支障はないはずだ、と。賢者の石はあらゆる事象を増幅させる。その機能を利用し、まだ微かに残る心臓が持つ生命力を生み出す力を増幅させるのだ。
「簡単に言うけど、さっきお前は『リスクがある』と言っていたな。それはなんだ?」
「蘇生を果たしたとしても、賢者の石はこの子の中に残ることになる。それがどういう影響をこの子に与えるか分からない、ということよ」
「そんな…」
 逡巡するレミリアを見て、パチュリーは冷静に告げる。
「強制するつもりはないのよ。賢者の石は貴重なものだし、無理に試して石を失った挙句、貴方の怒りを買いたくないもの」
「…そんな貴重な代物を、どうして見ず知らずの私たちに提供する気になったんだ」
 不安を隠し切れないレミリアを見ながら、パチュリーは物騒な笑みを浮かべた。
「それは私にもメリットがあるからよ、スカーレットデビル。だって、吸血鬼を相手にこんな実験ができる機会なんて、そうないでしょう? この知的探究心を満たすためなら、賢者の石のひとつくらい安いものだわ。うまくいけば貴方の信頼も得られるし。一石二鳥ということね」
「…実物を前にして本当にいい度胸だわ、知識の魔女。その二つ名は伊達じゃないというわけね」
 狂気染みた笑みを浮かべる魔女を前に、目の奥が怒りにチカチカと燃えるようだった。それを奥歯をかみ締めることで無理やり押さえ込み、気圧されまいと対抗するようにレミリアもニヤリと口元を歪めた。
「悪魔よりも悪魔らしい理由で、逆に信頼できるわ」
「お褒めに預かり恐縮ですわ」
 慇懃無礼にパチュリーが会釈する。確かにこの魔女には激しい怒りを覚えている。しかし誰からも恐れられる鮮血の悪魔を前にしてのこの度胸、自分の優位を理解し利用する頭脳、そして自分の欲求に素直な言動と、レミリアは少しこの魔女を気に入りかけてもいた。己を畏れるものは数多くいた。取り入ろうとするつまらない者も同様だ。しかし、スカーレットデビルと知ってなお物怖じせずに接してきた者はいなかった。それがレミリアには新鮮だったのである。
「で、どうするの? 早く決めた方がいいわ」
「他に方法がないと言ったのはお前だろう、知識の魔女よ。私の答えは最初からひとつしかない」
 うつむきがちに、力なく拳を握る。その姿は人々から恐れられるスカーレットデビルではなく、妹を愛する一人の少女のようであった。
「どんな副作用があるか分からないし、保障はできないわよ」
「それでも!」
 パチュリーの言葉を遮るように、レミリアは叫んだ。
「失ってしまったら、もう取り戻すことはできないもの。たとえ私のエゴだとしても、この子には生きていて欲しいの。私に残された、たったひとりの肉親なのだから…」
「…悪いようにはしないわ」
 悪魔にも、涙はあるのね。
 少し意外な気がして、パチュリーは肩を震わせて泣くレミリアの手をそっと握った。それはヒヤリと冷たい手だったが、微かに温もりを感じたような気がした。

                     Ⅳ

「私の合図でナイフを抜きなさい」
 パチュリーの言葉にコクリと頷くと、レミリアは苦しげに呻くフランドールの顔を見つめた。
「もう少しの辛抱よ。きっと助けるから…きっと…」
 フランドールから返事はなかったが、少しだけ表情が穏やかになったように見えた。
 パチュリーが呪文の詠唱を始める。その呪に反応するように、賢者の石がフワリと浮かび上がり、フランドールの上で光を放つ。石は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と七色に次々と変貌し、それに合わせて形もグネグネと歪んでいく。次第に光が強くなり、パチュリーの詠唱も力強くなっていく。
「今よ!」
 石の輝きが目も眩まんばかりに強くなった瞬間、パチュリーは叫んだ。と、同時にレミリアはフランドールに突き刺さるナイフを一気に引き抜いた。傷口から夥しい量の血が溢れ、フランドールはもちろん、レミリアを、パチュリーを、次々と紅に染める。その吹き出る血の中心へ吸い込まれるように石が飛び込むと、途端に出血はピタリと止まり、ジワジワと身体に広がっていた黒い変色が消えていく。どうやらナイフの魔力をフランドールの再生力が上回ったようだ。それはパチュリーの読み通り、フランドールに生命力が戻った証拠でもあった。フランドールの表情もそれに合わせて徐々に穏やかになっていく。
「…成功、したの?」
「わからないわ…」
 不安げに訊ねるレミリアに、パチュリーは素直に応えた。奇妙な静寂の中、フランドールの静かな呼吸音だけが部屋に響く。
 と――
「――あ! う、あ あ あ あ あ あ !!!!」
 ビクリとフランドールが身体を震わせると、カッと目を見開き、自分を抱きかかえるようにベッドに丸まりながら、激しい叫び声を上げ出した。
「どうしたの、フランドール!」
 心配そうに駆け寄るレミリアに、顔を涙でグシャグシャに濡らしたフランドールが助けを求めるように手を伸ばす。
「お ね え さ ま……」
 レミリアが手を握ろうとする前に、目測を誤ったのか、フランドールは宙空を力なく掴んだ。すると、レミリアの肩口が突如爆発するように弾け飛んだ。呆然とするレミリアをよそに、フランドールの異変は続く。
 蝙蝠状の翼から皮膜がボロボロと剥がれ落ち、翼骨がメキメキと奇怪な形状へと変形していく。剥がれ落ちた翼膜と入れ替わるように、翼骨の中から複雑な色彩の光を放つ硬質な物体が、外へと這い出ようとするように所々から顔をのぞかせていた。それはゆっくりと成長していくと、やがて水晶のようにキラキラと輝く鉱石となり、翼にぶら下がるような形で生え揃った。
「あれは、賢者の石…!」
「賢者の石だと?」
 パチュリーが驚きの声をあげる。レミリアの詰問にパチュリーはコクリと頷いた。
「賢者の石が、あの子の生命力を糧に、自己増殖しているのだと思うわ。ただ、あの子自身の身体の防衛反応が、体内での増殖を許さずに、石を対外へと排出しようとしてるのでしょう。結果、もっとも石本体に近く、それでいて人体に影響の少ない羽が苗床になってしまったようだけど…」
「冷静に分析してる場合か! あれは明らかに普通じゃない。どうにかできないのか!」
「言ったはずよ。命は助かるかもしれない、けど、どうなるか保障はできない、と。それより、さっきの貴方を攻撃した力が暴走しているわ。一度外に出た方がいい」
「あ あ あ あ あ あ あ !!!」
 フランドールになおも駆け寄ろうとするレミリアの手を掴み、パチュリーは無理やり外へと連れ出した。フランドールの周囲は彼女の絶叫に反応するように何かが破砕される音が響き続け、先程の謎の力が暴走していることが垣間見えた。

 パタン。

 扉の向こうから悲痛な叫び声が漏れ聞こえる。念のために扉に結界を張ると、扉に寄りかかるようにして一息ついたパチュリーは、膝を抱えてうずくまるレミリアに声をかけた。
「その腕、どうにかならないの?」
「……フランはどうなったんだ」
「…分からないわ」
 自分の身より妹の身を案じるレミリアに、パチュリーは肩をすくめながら答えた。本当に悪魔らしくない悪魔だ。
「おそらく、石とあの子の力が突然触れ合ったせいで、双方の力が過剰反応を起こしているだけだと思う。しばらくすれば暴走は収まるでしょう」
「暴走『は』?」
「後遺症がない、とは言い切れないということよ」
 なおもフランドールの苦鳴の声が聞こえる扉を前に、パチュリーは嘆息した。
「そういえば聞くのを忘れてたけど、そもそも、あんな傷をどうして受けたの?」
「…分からないわ。気が付いた時には、フランの胸にあのナイフが突き刺さっていて…。ああ、一瞬だけど、やったヤツの姿は見たわ。特徴的な銀髪と碧眼の女だった。次の瞬間には私を狙ってきたから、勘で殴りつけてやったの。それで逃げ出したみたいだけど…」
 そこまで言うと、レミリアの周囲に紅い霧のようなものが立ち込め始めた。それはレミリアの鬼気に呼応して渦を巻き、激しく立ち上る。その様は、まるで怒りに燃え盛る炎のようであった。
「私の大切な妹を傷物にしてくれた礼は必ずしてやる。殺すだけじゃ飽き足りない! 地獄の果てまで追い詰めて、死よりおぞましく残酷な運命を刻み付けてやるわ!」
 レミリアの怒声に応えるように、霧がレミリアの失われた腕の周囲に集まっていく。それはやがて凝固し、腕の形を形成し、気が付くと元通りに腕が生え変わっているのだった。これが吸血鬼の再生能力かと、パチュリーは目を見張った。文献で知ってはいても、実際に目の当たりにすれば驚きもする。ただ破壊されただけであれば、何事もなかったように身体を復元できるのが吸血鬼なのである。それだけに今回のフランドールの一件はレミリアにとって想定外の出来事であったことだろう。
 怒りの興奮で息を荒くするレミリアを見つめながら、パチュリーがボソリと呟いた。
「もしかすると、それは〝切り裂きジャック〟の仕業かもしれないわね」
「ジャック? ヤツは女だったけど?」
「じゃあ、ジル・ザ・リッパーなのね。最近街を騒がせている殺人鬼よ。殺した人間の内臓を持ち去るそうだけど、その姿を見たものは誰もいない。正体不明、性別すら不明で、付けられた名がジャック・ザ・リッパー」
「そんなイカレた殺人鬼が、どうして吸血鬼を襲う?」
「さあ? 人間を殺すことに飽きたんじゃない?」
「ふざけるな!」
 ドンッ! とレミリアが拳を壁に叩きつけた。ビシリと放射状に床や天井までヒビが走り、あまりの剣幕に地下全体が揺れたような錯覚をパチュリーは感じた。
「そんな理由でフランがあんな目にあったのだとしたら、ますます許せないわ」
 そこまで言うと、レミリアは急に顔を押さえるようにクツクツと笑い出した。狂気を含んだその笑顔に、パチュリーの背筋に冷汗が伝う。
「――ああ、ヤツに会うのが楽しみになってきた。これなら遠慮も加減も必要なさそうだ」
 物騒に笑うレミリアを見ながら、ご愁傷様と、パチュリーは心の中でその殺人鬼に手を合わせた。

                     Ⅴ

 破壊しつくされた部屋の中央で、フランドールは静かにたたずんでいた。吹き荒れる暴風のような激しさは最早なく、嵐が過ぎ去った後の晴天のように穏やかな表情で、どこかボンヤリとどこをともなく視線を泳がせている。ただし、その翼は以前のような皮膜ではなく、歪な形で七色に輝く賢者の石に蝕まれていた。
「フラン…?」
 恐る恐るといった風情で、レミリアが声をかける。その声に反応したのか、ゆっくりと振り返るフランドール。レミリアに目の焦点を合わせるも、どこかキョトンとした表情で、あどけなく口を開いた。
「あなた、誰?」
「! な、何を言ってるの、フラン! レミリアよ! あなたの姉の、レミリア・スカーレットよ!」
「レミリア…お姉さん? フランというのが、私の名前なの?」
「記憶障害…か」
 パチュリーが呟いた。賢者の石はフランドールの体内深くまで根を張っているのは間違いない。レミリア以上の強大な魔力をフランドールから感じるためだ。石との共生に成功したかわりに、その代償として記憶を失ったのだろう。いや、記憶程度で済んだのはマシな方なのかもしれない。フランドールは確かに一命を取り留めたのだし、普通にコミュニケーションを取れる状態になっている。
 それでもレミリアは納得いかないようで、懸命に二人の間にあった思い出などを話して聞かせているものの、フランドールの返事は芳しくないようだった。絶望に、レミリアが座り込んで地面を叩く。
「四百年よ! 四百年の思い出を、こんな簡単に失ってたまるものか!」
「でも、代わりに命を得たわ。それだけでも幸運なことよ」
 レミリアの嘆きをよそに、フランドールは気楽そうな調子で手をプラプラと振った。
「ところで、さっきからチラチラ浮いてるこれ、なぁに?」
「?」
 フランドールが何もない宙空を掴むような不思議な動きを見せる。頭に疑問符を浮かべて見守っていた二人の横で、まだ部屋の中で辛うじて原型を残していた本棚が突然爆散した。それはフランドールが暴走した時にレミリアの腕を吹き飛ばした現象に酷似していた。
「何コレ! おもしろーい!」
 きゃっきゃと楽しそうに宙を掴んでは、周囲の何かが爆発・四散していく。その様子を青褪めた顔で見ていたパチュリーは、フランドールが見えない何かに夢中になっている隙をみて、眠りの術を行使した。不意に訪れた眠気に抗えなかったフランドールは、その場にヘタリと力なく崩れ落ちた。
「ちょっと、話したいことがあるわ」
 状況についていけず、呆然と座り込んでいたレミリアを起こすと、パチュリーは自分の考えを伝えた。途端、それまで焦点の合ってなかったレミリアの瞳に炎が宿り、パチュリーに詰め寄った。
「フランを幽閉しろとは、どういうことだ…!」
「あの子は力を制御できなくなっている。原理は分からないけど、元々あの子が持っていた能力が、石の力で急激に増幅されているのだと思うわ。そんな状態のあの子を外に出すのは危険だと言ってるのよ」
「強い力を得たなら、逆に安全じゃない。人間がどれだけ死のうが、私には関係のないことだわ」
「貴方も分かってるはずよ、スカーレットデビル。今はもう、この世界に私たちの居場所はない。派手なことをすれば狩り出されてしまう。貴方もあの子も強い。確かに人間の力では貴方たちに勝てないでしょう。でも、もし本気で人間と戦争することになった時、貴方は――いいえ、私達幻想に生きる者は、最終的に人間に勝つことはできないのよ」
 吸血鬼とは――そもそも、魔女や悪魔とは何であるのか?
 それは人間が形無き恐怖に形を与え、乗り越えるために想像した幻想である。幻想は幻想の中で実体を得て、現世へと顕現した。それは幻想の通りの力を備えた怪物であった。
 しかし、彼らに形が与えられたのは何故だろうか?
 彼らに名前が与えられたのは何故だろうか?
 それは人間が幻想に打ち勝つために他ならない。幻想のまま、正体不明の「何か」であればともかく、実体を得てしまった以上、幻想は現世のルールに縛られてしまう。それはつまり「滅ぼしうる」ということだ。
 今、こうしてフランドールが死に掛けたことこそが、なによりの証拠に他ならない。人間を下手に刺激しては危険だと理解しているがゆえに、パチュリーも、レミリアでさえも、辺境の奥地に隠れ住んでいるのである。
「幸い、あの子は記憶を失っている。外の世界への興味を持たないように教育すれば、無理やり押さえつける必要もなくなるわ」
 理解している。しかし納得はできない。そんな表情のレミリアを見て、パチュリーは最後に言った。
「あの子が生きていてくれさえすればいいと言ったのは貴方よ、スカーレットデビル」
 ギリリと、歯を食いしばる音が聞こえるようであった。しかし、パチュリーは続ける。それが姉妹にとって、最善の選択であると確信するゆえに。
「その上で噂を流すの。スカーレットデビルの片割れは気が触れてしまったために、姉がそれを幽閉したと。ただでさえ吸血鬼に近付こうなんて輩は少ないけど、更にそれが狂っているとなれば尚更人は遠ざかるでしょう」
 レミリアは静かな寝息をたてるフランドールを見つめながら、パチュリーに背を向けた。本当は分かっているのだ。フランドールがもう今までと同じ生を歩めないということを。遠からず、フランドールが制御できない力を持て余すようになるということを。その上でパチュリーが、もっとも安全で無理なくフランドールを生活させる術を提案しているのだということも。
「…それがこの子のためだというのなら、お前に任せる、知識の魔女よ。お前さえよければ、我が紅魔館の食客として招きたい。そうすれば、フランを任せることもできる」
「…こうなった責任も感じるし、妹さんの今後の経過を見れるという意味でも、魅力的な提案ね。私の地下書庫をあなたの館に移していいというなら、喜んで引き受けるわ」
「好きにしろ」
 圧倒的威圧感、無限に湧き上がる魔力、絶大な身体能力、不死に限りなく近い肉体…様々な畏怖を込めて付けられた名は、〝スカーレットデビル〟。
 しかし今、妹のために涙を流す少女の姿は、そのどれにも当てはまらないほどに小さく、儚いものであった。

                     Ⅵ

「見ぃーつけた」
 小汚い裏路地を、ひとりの少女が歩いていた。何かに怯えるように背を丸め、両手を胸元で合わせながら、祈るようにブツブツと口の中で何かを唱えている。頭に包帯を巻いているのは、怪我でもしているからだろうか。
 その少女の姿をふたつの人影が、路地を見通せる建物の屋上から見下ろしていた。ひとりは十前後の幼い容姿の少女。しかし背中に負った蝙蝠の皮膜に似た翼が、彼女が人間でないことを物語っている。もうひとりは紫の髪を左右でまとめた、線の細い少女だった。蝙蝠状の翼を持つ少女に付き従うように静かに佇むその表情から、真意をうかがうことはできない。
 そう、レミリアとパチュリーの二人であった。
 彼女たちはあれからジャック・ザ・リッパーを追いかけ続けていた。レミリアがどうしても復讐しなければ気が済まないと暴れたのと、パチュリーが放っておくべきではないと提案したためである。そして方々に放った使い魔が、早々にその尻尾を捕らえたのだった。
 今まさにレミリアたちの眼下にリッパーがいる。路地裏を神経質そうに歩く銀髪の少女――彼女こそがジャック・ザ・リッパーであり、フランドールを殺害しかけた人物なのであった。
「あいつは不思議な力を使う。最初から仕掛けるよ」
 レミリアが喜びを隠し切れないといった風情で、後ろに控えるパチュリーに言う。パチュリーは何も言わずにコクリと頷いた。
『ミゼラブルフェイト』
 レミリアの口から呪が漏れる。それは紅の鎖となってリッパーの周囲に突如として現れると、そのまま手足を拘束するように絡みついた。
『グリーンストーム』
 パチュリーも術を解放する。リッパーの足元から蔓草が数百と生え出すと、それは束ねられた蔓の帯となって、リッパーの身体と口を縛りつけた。
 突然の出来事に半狂乱になって暴れる少女の目の前に、愉快そうに笑いながらレミリアが舞い降りてきた。巨大な翼が風を起こし、地面を叩く。その影に隠れるように、パチュリーも風の精霊の力を利用して静かに下り立った。
「久しぶりね、ジャック・ザ・リッパー。私の顔を覚えているかしら?」
 そういって月明かりに顔をさらしたレミリアを見て、リッパーは一瞬で顔を絶望の色に染めた。あの日痛めた頭の傷が疼き出す。なんとか逃れられないかと手足を振るも、鎖と蔓の二重の拘束にまるで動くことができない。
「不思議な力を持ってるみたいだけど、手も足も口も動かせなければ、その力も使えないみたいね。不意打ちして正解だったわ」
 カラカラと笑うレミリアは、本当に楽しそうであった。彼女にとってリッパーは正面から叩き潰したい相手ではなかった。また逃げられては元も子もない。一刻も早く無様な姿を見たかったレミリアにとって、卑怯な手段を行使することに些かの躊躇いもなかった。そもそも彼女は悪魔なのである。
「私たちを襲った理由は、もうどうでもいい」
 静かに、レミリアは続ける。煮えたぎるような怒りが全身から発せられていることとは対称的に穏やかな物言いに、尚更の恐怖をリッパーは感じた。
「今から貴様には、卑しい豚に相応しい運命を刻んでやる。パチュリー!」
 パチンと芝居がかった動きで指を鳴らすと、それまで物陰で控えていたパチュリーがリッパーの前に姿を現した。途端、リッパーの表情が変わる。
 突然暴れだしたリッパーを気にすることなく、パチュリーは淡々と告げる。
「これから貴方には百年の眠りを与える。貴方が目を覚ました頃には、貴方を知る者は誰もいなくなっているでしょう。そして眠りの間に、貴方の記憶を弄らせてもらう。すべてを忘れた上で、レミリア好みの犬に躾けてあげるわ。貴方は眠ってるだけで、あらゆる礼儀作法、社交術、家事に至るまで、メイドとして必要なすべてを身に付けることができる。悪くない提案だと思うけど」
「殺そうとした相手の従者になるなんて、とんだ屈辱でしょう? すべてを忘れて能天気に私に尽くすお前を眺めながら、私は溜飲を下げることにするわ。そうそうパチュリー、私の従者にするからには、完全で瀟洒に調教しておいてよね」
「はいはい」
 目の前で交わされる会話を、どこか他人事のように聞いている自分をリッパーは自覚していた。あまりに突然な出来事が一度に起こりすぎて、情報の処理が追いつかない。そもそも目の前の魔女は何故吸血鬼と親しげに会話を交わしているのだろうか。
「お前が死ぬ直前に、これまでの記憶をすべて返してあげる。その時にお前がどんな顔をするのか、今から楽しみだわ」
 心底愉快そうにレミリアはリッパーをひとしきり嘲笑うと、あとは任せたとパチュリーに告げ、背を向けた。
「あまり長くそいつを見ていると、殺したくなってしまうからね」
 ゾッとするほど底冷えする殺気に、リッパーが震え上がる。その様を見て多少満足したのか、レミリアは自分に言い聞かせるように呟いた。
「ただ殺すだけじゃ、私の怒りの万分の一も満たせない。もっと深く、もっと暗い絶望の中で、苦しみ、嘆く姿が見たいのよ」
 ククッと喉を鳴らすような笑いを漏らすと、レミリアは背中の翼を広げた。
「それじゃあ百年後に。その時は素敵な出会いを演出してあげるわ」
 ヒラヒラと手を振ると、そのまま夜空へと飛び去っていった。「勝手なものね」と嘆息するパチュリー。リッパーは彼女に訴えかけるような瞳を向けるも、パチュリーは無表情にそれを黙殺した。リッパーの目の前に掌をかざし、呪を唱え始める。リッパーはなおも抗う姿勢を見せた。それは吸血鬼ではなく、目の前の魔女への怒り。憎悪。〝裏切り者〟へ殺意を込めた視線を送り、精一杯の抵抗の意志をパチュリーに示した。
 そんなリッパーの姿に些かの躊躇も見せることなく、パチュリーは眠りの呪をリッパーへと解き放った。リッパーが最後に見たのは、愉快そうな笑みを口元に刻んだパチュリーの姿であった。



               「Ultimate Truth ~真相~」


                       


「師よ! 何故私に捨虫の法を授けてくださらないのですか!?」
 長い紫色の髪を振り乱しながら、少女は目の前に静かに座る老婆に訴えかけた。老婆は気にする風でもなく、ゆっくりと少女に視線を向けると、嘆息するように言葉を吐き出した。
「何度も言っているが、お前は身体が弱すぎる。捨虫は長い儀式を必要とする命を削る魔法だ。お前では会得の前に力尽きると言っているのだ」
「だからそれは、賢者の石で補えると…!」
「たわけが!」
 それまで静かに長椅子に背を預けていた老婆が、険しい表情で少女を一喝した。その一声で身がすくみ、少女は口をつぐんだ。
「己の力で会得できないものを求めるなど、浅はかなことよ。外法を用いて得た力など、己が身を滅ぼすだけだと何故分からん。お前は人間だ。人間には人間の幸せがある。わざわざ人であることを捨てる必要もあるまい」
「ですが師よ! 私に魔術を与えたのは貴方ではないですか! 私に本を与えたのは貴方ではないですか! 私に命を与えたのは貴方ではないですか!」
 少女は捨て子だった。生まれつき身体の弱いことを理由に、親に捨てられたのであろう。それを偶々この老婆に見つけられ、気まぐれに育てられたのがパチュリーと名付けられたこの少女であった。
 身体の弱いパチュリーは、滅多に外に出ることができなかった。それを不憫に思った老婆は、パチュリーに本を与えた。パチュリーはたちまち本の虜となった。本を読んでいる間、パチュリーは頑強な戦士となり、麗しい姫となり、大空を舞う鳥となり、大海を泳ぐ魚となった。賑やかな町並みが、煌びやかな城が、焼け付くような火山が、凍りつくような氷原が目の前に広がり、想像の中でパチュリーは世界を旅することを楽しんだ。
 老婆は知識の魔女と呼ばれる稀代の魔術師であり、老婆の家の地下にはあらゆる智を封じた図書館があった。本に魅了されたパチュリーはそこに入り浸るようになり、やがて図書館はパチュリーの住む部屋となった。
 パチュリーが十を数える頃、老婆はパチュリーに魔術の手ほどきをするようになった。魔術書を熱心に眺めていたパチュリーが、知識を得るだけでは飽き足らず、実践してみたいと老婆に訴えたのである。
 知識は使われて初めてその意味を為す。蓄積するだけで埋もれるままだった知識の墓場を、この娘であれば活かせるかもしれないと思ったのであろうか。老婆はパチュリーの申し出を受け入れ、自らの会得する魔術をパチュリーに授けていった。
 パチュリーは魔術に対して天賦の才を見せ付け、老婆を驚かせた。しかしひとつだけ、老婆がどうしてもパチュリーに与えようとしなかったものがあった。
 それが捨虫の法。真に魔法使いとなるための入口ともいえる魔法であり、これを修めた者は自身の成長を止めることができる。同時にそれは人間を捨てるという意味も持っていた。老いることのない人間などいない。それはもう幻想の存在なのである。
 パチュリーはそれこそ自分が求めるものだと確信した。老いから解放されたなら、この無限ともいえる蔵書の海を永遠に漂い続けることができる。それはすでに本を身体の一部と信じてやまない少女にとって、天上の美酒のように甘い魅力を持つものだった。
 人間であることに未練などない。自分を育ててくれたのは、魔女である老婆と本だけである。それがパチュリーにとってすべてであり、世界であった。
 自分の身体の脆弱さを理解していないわけでもない。自分が長時間の儀式に耐えられないことも分かっている。しかし、パチュリーは知っていた。老婆が賢者の石を持っていることを。そして、賢者の石の力を借りることで、己の弱さを克服できることも。
 だが、老婆はそれを許さなかった。己の力で身に着けたものではない過ぎたる力は、必ず己が身に災厄を招くと老婆は身をもって経験していたからである。
 そんな老婆の心情を察するには、パチュリーは若すぎた。そして内に燃える野心が大きくなりすぎていたのである。
 パチュリーは幾度と無く老婆に捨虫の法の会得と賢者の石の使用許可を得ようとしたが、老婆は岩としてそれを聞き入れることはなかった。
 何度繰り返されたか分からないやりとりが終わり、静寂が部屋に満ちた。議論は終わったとばかりに老婆はパチュリーに背を向け、長椅子に身を深く沈めた。
「私は貴方と共に永遠を生きたかった…」
 パチュリーがポツリと呟いた。そのいつもと違う声の響きに違和感を覚えた老婆が後ろを振り向いた時、その目に映ったのは、鈍く輝くナイフを老婆に向けて振り下ろすパチュリーの姿であった。ナイフはいとも容易く老婆の胸を貫き肉を裂き、心臓を破壊した。何かを喋ろうとするも言葉のかわりに血を吐き出すばかりの老婆は、無念の表情のまま絶命した。
「もう、叶うことのない願いになってしまったけれど」
 どこか皮肉気にパチュリーは自嘲した。
 魔法使いとは不死ではない。むしろ身体的に非常に脆い種族である。ゆえに病気や怪我で死ぬことも珍しくない。一番恐れるべきなのは、他者からの敵対心なのである。だから魔女は人里から離れた僻地に住む者が多いのだ。誰とも交わらず、ただ己の技を磨くことに心血を注ぐ孤高の存在――それが魔法使いなのである。老婆は気まぐれから、その約束事を放棄したのである。それは暗にこうなる未来を予言していたのかもしれない。
 老婆が完全に絶命したのを確かめると、パチュリーは死体を外に運び出し、火炎の魔法で跡形も無く焼き尽くした。ここまで育ててもらったせめてもの恩としての供養であったが、それ以上に、これから自分が知識の魔女に成り代わることの意思表明でもあった。滅多に人が訪れる場所ではないため、老婆の顔を知る者は数少ない。それでいて名を知られている知識の魔女の威光は、今後パチュリーの助けとなるだろう。
 しばしの黙祷の後、パチュリーは家の中に踵を返すと、真っ直ぐに地下の大図書館へと向かった。そして図書館の奥にある老婆の研究室へと足を踏み入れる。研究室には雑多に様々な魔術書や実験器具が置かれていたが、その中にひときわ目立つガラス容器が鎮座していた。容器の中には七色に輝きを変える不思議な鉱物が浮遊していた。これこそが賢者の石である。
 パチュリーは迷うことなく石を手に取ると、研究室の更に奥にある、契約儀式用の魔方陣が書かれた部屋へと足を運んだ。そしてそこにある封印された魔術書の中から一冊を抜き出し、捨虫の法の項目を探し出すと、早速儀式に取り掛かるのであった。

 そして――

 パチュリーはこの日、「知識の魔女」の名と、魔法使いとしての生を手に入れたのである。

                     Ⅰ

 パチュリーが魔法使いとなって数ヶ月が経った頃、ひとりの来訪者があった。
 十代の後半か、二十歳に届くか否かといった年頃の、まるで宝石のように輝く銀髪が特徴的な、おとなしそうな少女である。
 少女はどこの医者にも見離されてしまった父親を助けるべく方々を巡り、やがて噂に聞いた知識の魔女に一縷の望みを託し、この辺境まで足を運んだのだという。
「感動的な話だけど」
 少女の事情と来訪の目的を聞いて、パチュリーは本から目線を外すことなく言った。
「興味ないわ」
「そんな! 知識の魔女様はこの世の叡智を司るお方だと伺っております! 私にできることであれば何でもいたします。だから何卒そのお知恵をお貸しください…!」
 足元にひれ伏してしまった少女に、面倒そうな視線を向けて、パチュリーはため息をついた。
 そういえば師匠は度々人助けのようなことを行っていたのであった。パチュリーが今こうしているのも、そんな師匠の「気まぐれ」のおかげである。パチュリーが今後も知識の魔女としてやっていくためには、時にはこういった面倒事に首を突っ込む必要があるのかもしれない。
(これは何を言っても帰りそうにないわね)
 少女を見下ろしながら、もう一度ため息をつく。と、パチュリーの中でひとつ意地悪な妙案が浮かんだ。
「どうしても私の知恵が欲しいというなら、その前に私の頼みを聞いてもらえるかしら?」
「…頼み、とは?」
 恐る恐る訊ね返す少女に、パチュリーは愉快そうな笑みを見せた。それはまるで悪魔のような笑顔で、少女の背筋に冷汗が伝った。
「私はある物を作るために素材を探しているの。だけど、私ではそれを集めるのに苦労があってね。代わりに貴方が集めてきてくれるなら助かるわ」
「魔女様でも苦労するような品を、私なんかで集められるのでしょうか…?」
「大丈夫よ。だって貴方…不思議な力を持っているでしょう?」
「!?」
 パチュリーの言葉に、少女は大きく反応した。顔は青褪め、大量の脂汗を額に浮かべている。全身の震えを止めるために、少女は自分の身体を抱きしめた。
「私には分かるのよ。私も《幻想になった者》だから、それに近い性質を持つ者は感覚で分かるの。貴方の力がどういうものかは分からないけど…」
 いまだ震える少女に視線を落としながら、パチュリーは続ける。
「父親を助けたいのでしょう? なら、私に貴方の力を見せなさい。その力の使い方を教えてあげるわ。その力は私の願いを叶える助けになる。そうすれば、貴方は父親を助けることができる。双方にとって利益のある話だわ」
 悪魔の囁きのように、パチュリーは優しい声音で少女に迫る。少女の瞳が揺れている。もう一押しだろうか。
「貴方の力について口外はしないわ。だから、話してしまいなさい。自分だけで抱えているのは辛かったでしょう?」
 その言葉で、少女の中で張り詰めていた何かが切れたようだった。瞳から涙が溢れ、少女はパチュリーの足元に縋りつくようにして泣き続けた。パチュリーは少女の頭を優しく撫でながら、口元に微かな笑みを浮かべるのだった。

「驚いたわ…」
 少女の能力を説明されて、パチュリーは驚愕の表情を隠さなかった。
 時間を操る。
 そんな神如き力を、この気の弱そうな少女が持っていることも驚きであったが、なによりその力の媒体となっている懐中時計にパチュリーは興味を惹かれた。
 これはこの世の物ではない。もっと上位の「何か」が介在した形跡が見える。ただ、それ以上のことは解明できず、パチュリーがこれを媒介としても、少女と同じ力を使うことはできなかった。恐らくは、この少女のために作られた特注品だと思われた。
 どこで手に入れたのかと訊くと、少女は物心ついた時から持っていたのだと言った。
 少女は捨て子で、カゴの中に少女と一緒に入っていたのだという。父親というのも実の父ではなく、少女を拾って育ててくれた孤児院の院長なのだそうだ。
 しかし、幼い頃、少女は不用意に能力を使ってしまった。それを見た周囲の住人たちは、少女を「悪魔の使い」として異端審問にかけようとした。院長はそれを庇ったことで、世間から隔絶されてしまった。結果、孤児院には少女しか残らなかった。
「父は…決して私を見捨てませんでした。『いつか理解してもらえる日がくる。だから決して人を恨んではいけない』と、そう言って…。それ以来、私はこの力を使うことはやめました。今はもう、私の力について覚えている人もいません。私のせいで失ってしまった平穏な時間を、ようやく取り戻せたというのに、なのに、父は…!」
 そこまで語ると、少女は懐中時計を握り締め、涙の雫をこぼした。それはひとかけらの光となって、床に落ちて砕け散った。キラキラと輝くそれは、少女の純粋さを写し取ったようだった。
 パチュリーにとって、少女の事情などどうでもよかった。しかし、少女を利用するには良い情報を得たと、心の中でほくそえんだ。
「大変だったのね…貴方も、お父様も。つまり貴方は恩返しがしたいということね」
「…はい」
「なら、尚更その力は有効に使うべきだわ。なに、誰にも知られなければいいだけの話よ。それは貴方の力なら容易いことだわ。確かに幼い頃は失敗したかもしれないけれど、それは力の正しい使い方を理解していなかっただけ。その力でお父様を助けることができたなら、貴方の罪悪感も少しは軽くなると思うわ」
「…そう…でしょうか…」
「ええ。それに、私の依頼をこなすには、その力を使わないと無理よ。大丈夫、今の貴方には私もついてるわ」
「…分かりました。やれることがあるなら、私…やってみます」
「いい子ね」
 バカな子。パチュリーは心の中で呟くと、内心を悟られないように、少女に頼みたいことの説明を始めた。

                     Ⅱ

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!」
 人の気配のない路地裏で、少女はどこへともなく謝り続けていた。少女の右手には銀色に輝くナイフ。ただしそれは今は血に濡れて紅の光を放っている。足元には喉を真一文字に切り裂かれ絶命している女の死体。その横で、少女はガタガタと震えながら、謝罪の言葉を繰り返していた。
「何を謝る必要があるの?」
 暗闇からパチュリーが染み出すように現れると、震える少女の肩に手を置いた。
「この女は貴方の父親を貶めた卑しい獣よ。だからこそ生贄として選ばれた。それは貴方も納得の上でのことでしょう?」
 地面に転がる中年の女は、かつて少女の力を偶然に目撃し騒ぎ立てた、最初の人間であった。パチュリーは少女に、そういった因縁ある人物を標的とすることを助言したのである。
「でも…でも…!」
 少女の震えは止まらない。無理もない。今まで普通に生きていたであろう少女に、人殺しをさせているのだから。
「目的のため、よ。それとも貴方は、お父様よりこの女の方が大切なの?」
「そんな…そういうことじゃ…」
「それに、もう手遅れよ。悔いる気持ちがあるなら、彼女の死を無駄にしないことね」
「……」
 パチュリーに促され、少女は虚ろな目で死んだ女を見やる。見開かれた目は何が起きたのかすら理解していないようで、不思議そうな表情で中空を見上げていた。少女はできるだけ女の顔を見ないようにしながら、死体の横に移動すると、パチュリーに教えられた通りに腹を切り裂き、内臓を取り出した。むせ返るような血の臭いに、少女は吐きそうになったが、予めそうなると予想していたパチュリーによって食事制限がされていたために、透明な胃液が逆流してくるだけだった。
(どうして、こんなことに…)
 喉も鼻も目も、すべてが痛い。そして心もまた。
 少女は涙や汗や胃液で顔をグシャグシャにしながら、朦朧とする意識の中で、パチュリーの言葉を思い出していた。
 
 パチュリーの欲していた素材とは「人間の内臓」であった。それもできるだけ新鮮な。
 それを使い何をするのかといえば、賢者の石を作るのである。なんとも趣味の悪い話であるが、石の素材として「それ」が記されているのを見つけた時、パチュリーは眉間に皺を寄せた。材料に対して忌避したわけではない。パチュリーの力では、穏便に「素材」を集めることは不可能だと思われたからだ。下手に人間を刺激して敵対するわけにもいかない。
 しかし、パチュリーの魔術の補助としても、生活を支えるものとしても、賢者の石の精製は必須であった。今在る賢者の石がなくなる前に、なんとしても予備を作り出しておかねばならない。
 そうして頭を悩ませている頃、まるで天佑のように「彼女」が現れた。
 誰にも見咎められる心配なく目的を遂行できる逸材。万が一バレたとしても、彼女にすべての責を負わせ、自分に危険が及ばないようにする「仕掛け」を施しておけばいい。
「賢者の石があれば、貴方のお父様の病も癒せるわ」
 パチュリーは最初に核心を伝えると、「しかし」と続けた。
「今は使える『石』がないの。だから新しく作らないといけない。貴方にお願いしたいのは、『石』を作るための素材集め。素材は――」

 ぼんやりとしている内に、パチュリーが少女の手の上にある血の塊を無造作に取り上げた。そして短い呪の詠唱を行うと、それは跡形もなく消えた。
「私の家の保存液の中に送っておいたわ。これで賢者の石に一歩近付いた」
 心ここに在らずといった様相で、どこか頼りなげにフラフラとしている少女に、パチュリーは言った。
「次も頼むわね」
 少女の答えはなかった。

                     Ⅲ

「足りないわ」
 髪を掻き毟るようにして、パチュリーが呻いた。傍らには、表情を失くした銀髪の少女がひとり。
 少女による「素材集め」は順調だった。誰に目撃されることなく行われる完全犯罪。そして内臓を抜き取られた謎の死体――。世間ではこの謎の殺人鬼の話題で持ちきりであり、〝切り裂きジャック〟という仮称まで与えられるほどのニュースとなっていた。
 しかし、そんなことは関係ないとばかりに、二人はただ、己の役割を果たしていった。
 やがて、ある程度の材料が揃い、賢者の石を精製する段階に至り、パチュリーが呟いたのが前述の言葉である。
「人間の内臓ではエネルギー効率が悪すぎる。別の素材を吟味するか、それとも人間を超える生物の…」
 ブツブツと繰り返すパチュリーの背中に、静かに佇んでいた少女が声をかけた。
「…私はあと、何人殺せばいいんですか…?」
「…このままだと、あと五十人は必要ね」
「…五十…!?」
 少女の絶句する様が見てとれるようだった。無理もないと、パチュリーも嘆息する。すでに少女は十三人をその手にかけており、それでいていまだ罪悪感を消すことができないでいるのだ。父親の教えに背いているという自覚が、常に少女に罪の意識を植え込もうとするのだろう。もう少女の精神は限界に近いように見えた。
「…他に方法がないわけじゃないわ」
「…どういうことですか?」
「吸血鬼の肝を使うのよ」
 パチュリーの言葉に、再度絶句する少女。
「この辺りにスカーレットデビルと呼ばれる吸血鬼姉妹が住んでいるのを知ってる?」
「噂だけなら…」
「噂は幻想にとっては真実よ。つまり、吸血鬼は実際にいるし、もしその肝を使うことができるなら、精製は飛躍的に進むわ」
 ただ、とパチュリーは呟く。時間を操れるとはいえ、中身はただの人間であるこの少女に、吸血鬼の相手がつとまるだろうか。このような貴重な能力者はそういない。安易に使い潰すわけにはいかない。しかし、このままではジリ貧であることも確かだった。
 なおもなにやら考え事を続けるパチュリーの横で、少女はただ無言のまま、どこか遠くを眺め続けていた。

                     Ⅳ

 その夜、家の扉が叩かれる音でパチュリーは目を覚ました。ただでさえ来客の少ない家である。あの少女はこんな乱暴なノックはしない。いったいどこの礼儀知らずが迷い込んできたのだろうか。
 なおも続く激しい音に、不快感を隠そうともせず、パチュリーはベッドから起き上がった。
「無粋な客だわ」ポツリ呟く。
 しかし、そんな苛立ちも、来訪者を見て瞬時に吹き飛んだ。つい先刻に話題に出した吸血鬼が、よりによって今、扉を挟んだ向こう側にいるのである。切り札である銀髪の少女は今はいない。動揺を抑えるために一度深呼吸をすると、パチュリーは扉を開けた。
 すると、目の前の吸血鬼は血塗れで、誰かを抱えているようであった。そして信じられないことに、吸血鬼がパチュリーに頭を下げると、更に信じがたい言葉を発したのである。
「妹を……フランドールを助けてくれ」
 どういうこと…!?
 パチュリーは混乱の極致にあった。

 とりあえず家の中にレミリアと名乗った吸血鬼を招き入れると、彼女が大切そうに抱えていたフランドールという少女の容態を診ることになった。そして彼女の胸に突き刺さるナイフを見て、再び驚くことになる。
(これは私があの子に渡したナイフ…!)
 吸血鬼の話をした時から、少女の様子はおかしかった。
「どうすれば吸血鬼を殺せますか?」などと言うのだ。
 パチュリーは吸血鬼の特性を説明し、「もののついで」と、特別性のナイフを彼女に渡していたのだった。
(まさか本気で吸血鬼を狙うなんて…)
 少女の精神が限界にきていることは察していたが、パチュリーの想像以上に彼女は追い詰められていたのかもしれない。
(でもこれはチャンスよ!)
 パチュリーは自分の心を落ち着かせると、努めてレミリアに内心を悟らせないように注意を払いながら、自分の中のプランを実行する機会を窺った。

 成功した! 大成功だ!
 パチュリーは内心で大喝采を送っていた。
 レミリアを誑かし、フランドールに賢者の石を移植するように誘導したのだ。パチュリーはフランドールを「苗床」とすることで、賢者の石を0から精製するのではなく、「増殖」させることで増やす方法を実行に移したのである。更に、石を移植する際に、フランドールの記憶を書き換える呪を混ぜておくことで、彼女の傍にいる理由を作ることにも成功した。そんなに都合よく記憶喪失などになるはずもない。すべてはパチュリーの計画であった。
 誤算があるとすれば、フランドールの力があまりに強くなりすぎたことだろうか。ただ、これは今後の教育で制御していけばいいだけのことだと、パチュリーはほくそえんだ。それよりも得た物の方が遥かに大きい。
 あとは事情を知るあの少女の処置についてだが、それについても一計を案じてある。レミリアに殺させればいいだけのことだ。さりげなく思考を誘導することで、レミリアの殺意は完全にあの少女に向いた。あとは彼女に余計なことを喋られる前に殺すだけだ。
 そういえば、あの子の名前すら知らないな、とパチュリーは思った。しかしそれも、どうでもいいことだった。

                     Ⅴ

「すべてが思い通りになるとは限らない、か」
 気を失った銀髪の少女を見下ろしながら、パチュリーはため息をひとつついた。本来であれば、ここでレミリアが少女を殺し、すべての憂いは消えるはずであった。しかしレミリアはそうすることなく、驚くことに、彼女を自分のメイドにするなどと言い出したのだ。どうやらレミリアの怒りを煽りすぎたようだ。
「だけど、それもまた余興としてはいいかもね」
 パチュリーは倒れたままの少女に呪をかける。するとその姿は一瞬にしてその場から消え去った。石の素材集めの時に使った魔法である。それで少女の身体をパチュリーの研究室(新しく紅魔館に新設したもの)へと転移させたのだった。あとはそこで仮死化の魔法を使い、睡眠学習と洗脳を施すだけである。
「百年後が楽しみだわ」
 そう言うと、パチュリーの姿もまた、風に吹き消されるように消えていった。


                       


「パチュリー、下はどうするのー?」
「上だけでいいわよ」
「はーい」
 お気楽な質問に対しておざなりに返しながら、パチュリーは椅子に腰掛けたフランドールの背後に立つ。『エレメンタルハーベスター』と静かに呪を唱えると、指先に小さな回転する丸いのこぎりのようなものが出現した。
 ここは紅魔館地下大図書館の更に深い場所、フランドールの居室である。中央に置かれた椅子に上着を脱いだフランドールが腰掛けている。椅子の下には汚れを避けるためのシート。まるでこれから髪でも切るような様相である。
「…やっぱりやめない? 痛いし」
「あなた、そのままだとロクに動けないくせに、何言ってるの」
 ため息をひとつついて、パチュリーはフランドールの翼に手を伸ばした。そこには、羽根全体を包み込まんばかりに増殖した賢者の石が煌めいていた。
 フランドールを苗床として増殖を続ける賢者の石は、定期的にパチュリーが削り取ることで「採取」していた。単純にそのままだとフランドールが動けなくなってしまうという事情もあり、半年に一度程度のイベントになりつつある。
 魔法でガリガリと石を削っていくと、フランドールが何かを我慢するように、椅子に手をついて歯を食いしばっている様子が見えた。石はフランドールの神経と繋がっており、削られた時の激痛は想像を絶するものであるらしい。しかし同時に凄まじい快楽も与えているようで、口の端からはだらしなく唾液が漏れ、椅子の下には水溜りができるほどに雫が滴り落ちていた。
(激痛と快楽の狭間で一時間…気が狂うのも無理のない話ね)
 フランドールの教育係を任されておよそ百年。フランドールは一見正常に見えながらも、緩やかに狂っていくのがパチュリーには理解できていた。それは賢者の石の莫大な力を持て余していることによる影響と、定期的に行われる「採取」が原因であることは間違いない。「嘘から出た真」とはこのことだ。
(面倒なことになったけど)
 パチュリーは嘆息しながらも、口元に笑みを浮かべる。
(今の生活は悪くないわ)
「さ、終わったわよ」
「あ、あ~、やっと解放された~」
 フラフラと腰砕けで数歩前進し、備え付けてあった大きなベッドに頭から倒れこむ。フランドールを押し潰さんばかりに成長していた賢者の石は、綺麗に削り取られて、カットされたばかりの宝石のようにキラキラと輝きを放っていた。
「お疲れ様です、妹様。紅茶とケーキをお持ちしましたわ」
「わーい、咲夜大好きー!」
 扉を開けて入ってきたのは、十代の後半か、二十歳に届くか否かといった年頃のメイドだった。精緻なガラス細工を思わせる銀の髪をヘッドドレスが飾っている。咲夜と呼ばれたメイドは、優雅な手つきで紅茶を淹れると、滑るようにフランドールの前に差し出した。いつの間にか切り分けられたケーキも添える。
「パチュリー様はコーヒーでよろしかったですか?」
「ええ、ありがとう」
 まるで魔法のように、どこからかコーヒーカップを取り出した咲夜は、音も無くパチュリーの前に良い香りの立ち上るコーヒーを置いた。「パーフェクトメイド」などと揶揄されるのも理解できる。仕草のひとつひとつがそれぞれに優美で無駄がない。
 パチュリーは「自分の作品」に満足しながら、コーヒーを啜った。と、咲夜の腕にはめられたブレスレットに目が留まる。小さな宝石が埋め込まれた瀟洒な品物だ。
「あなた、そんなアクセサリーをつける趣味があったっけ?」
「ああ、これは、里へ買出しに行った時に目に留まりまして、つい…」
 少し恥ずかしそうに咲夜は言った。
「なんでも完璧にこなすのに、その変な収集癖だけは治らないのねぇ」
「ええ、自分でも不思議なのですけど…。何か大切なものを探しているような、何か大切なことを忘れているような…そんな気がするんです」
「ふぅん」
 どこか遠い目をする咲夜から、興味がない風を装ってパチュリーは目をそらす。
 彼女が探しているのは、恐らく賢者の石。そして失ったものとは、彼女が愛した父親のことなのだろう。しかしそれが思い出されることはない。忘れていた方が幸せなこともあるだろう。そう、パチュリーは呟いた。
「何かおっしゃいましたか?」
「ああ…お茶請けはケーキだけなのかな、と思って」
「ふふ、珍しいですね、パチュリー様が。クッキーもありますけど、召し上がられます?」
「クッキー! 私も食べるー!」
「あわてなくても、沢山ありますよ」
 フランドールが飛びつかんばかりの勢いで、咲夜の用意したクッキーに手を伸ばす。それを愉快そうに眺めて咲夜が笑う。
 自分が人生を狂わせた二人の幸せそうな笑顔を横目に、パチュリーはクッキーを一口かじった。それは何故か苦味を伴い、パチュリーは顔をしかめるのだった。


                                     「Elixir」完


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