求められているものを見極めるべし

2010年12月26日 23:26

今回の話は極めて個人的な意見を元とした非常にアホな話なので、
本当に心底時間の余った他にやることの無い超暇でかつ寛大な心の持ち主だけ、
追記へと進まれることを推奨します。


以下、異論は認める

あなたがレンタルビデオ屋に行き、
他には目もくれず一心にアダルトコーナーを目指したとします。
その時、あなたの心の中を占める感情は何ですか?

99%のエロスと、1%の自己嫌悪でしょうか。

割合はどうあれ、その時のあなたの心の中にあるものは
「エロへの欲求」であることは間違いないでしょう。

稀に「パイパニック」とか「ロゼーンメイデン」などといった、
エロスよりも笑いを求めてパロディ物のAVを探す趣味の悪い人もいますが、
そういった例外も含めて、「求める」という行為には「方向性」があるものです。

長い前振りになりましたが、今回の話で重要な例示でもあるので、ご容赦願います。
つまり、何が言いたかったのかというと、
「人間が作品に求める要求は単一の事象である」ということ。
噛み砕いて言うと、AV借りた人が見たいのはエロだということです。

何でいきなりこんな話をしているのかというと、
以前に書いたアニメ感想の記事にて、
私が「ヨスガノソラをまともに見ていない」と言ったわけですが、
その理由に関連することだからです。

さて、前述の通り、AVを借りたらエロシーンが見たいのは当然の欲求です。
しかし、中には本番に行くまでにやたら焦らすものや、
下手な演技で安っぽいドラマが始まったりして、
なかなか肝心の場面に辿り着かない物も多いことでしょう。

しかし! あなたはそんなエロ以外の要素には欠片も興味がないのです。
何故なら、あなたはエロシーンを見るためにAVを借りたのですから、
それ以外の要素に気を向ける理由がないのです。

ではどうするかというと、エロシーンまで早送りしてしまうわけですね。
最近はDVDの普及により、チャプタースキップが搭載されて、より便利になりました。
視聴者のニーズに応えて、エロシーンだけを抜き出した特典映像もあったりします。
何でそんなに詳しいのかを聞くのはヤボってものですよ。

ここで話はヨスガに戻ります。

私は当初、
このアニメは「ちょっとお色気要素のある普通の恋愛作品」だと捉えていました。
しかし、実際には本番行為まで見せてしまう準エロアニメだったことが判明。

ここで私の中の思考の変化を見てみましょう。


「ブラコン兄妹のちょっとエッチなハートフルストーリーかしら(´ω`)」
   ↓
「エロス! エロス! ( ゚∀゚)。彡゚おっぱい! おっぱい!」


人間としてどうかと思うレベルでの変貌ぶりですね。

そう、本番アリということを知った時点で、
人間関係だとか恋愛の過程だとかはどうでもよくなり、
とりあえずエロシーンが見れればいいやという方向にシフトしてしまったのです。

ここで提示されるのが前述の定義、
「人間が作品に求める要求は単一の事象である」ということになります。

本来、ヨスガという作品は、
ルート分岐での情報の小出し&キャラの掘り下げを行いながら、
本筋である「妹との禁断の愛」の行く末を描く、挑戦的な作品なのだと思います。
エロだけでなく、物語性、キャラ性も深く味わって欲しいという、
スタッフの意気込みが感じられます。

しかし、エロ要素の扱いは難しいのです。

性欲というのは人間の三大欲求と呼ばれる通り、非常に強い影響力をもたらします。
これがA程度であればまだ「物語」として組み込むことも可能ですが、
Bを超えてCまで到達してしまうと、
エロ要素が物語の枠組みを飛び出してしまうのです。

そうなると、物語を楽しむことが脇へと追いやられ、
エロ要素を味わうことが主になってしまうという逆転現象が生じます。
あくまでスパイスであったはずのエロ要素が、本編を食ってしまうわけですね。

これは作品の物語の魅力の強さにもよりますが、
少なくとも私にとってヨスガの物語は、
エロ要素よりも魅力あるものとしては映らなかったようです。
つーか、ヨスガはエロを含めて「物語」なので、
エロ要素を切り離すことができるはずもなく、
結果として自らエロ要素をクローズアップするという悪循環を生み出していたわけです。
それは「エロシーンだけ見ればいいや」という意識を産むに至ります。
もしヨスガが本当はエロ以外の要素をきちんと見てもらいたかったとするならば、
悲しいことだと言わざるをえません。

ここからは個人的嗜好の話になりますが、
私はエロゲーをプレイする場合、ゲームシステムや物語には微塵も興味を持ちません。
何故なら、わざわざエロゲーで普通のゲームをしたくないからです。
エロゲーならエロ要素を堪能したいのです。
わざわざ冗長なテキストを追ったり、戦闘などをしたくないのです。
そんなものは全年齢向けで十分だし、より洗練されたものが揃っているからです。
それらはエロゲーに求めるものではないと、私は思っています。

逆に、物語を楽しむためにエロゲーをプレイする場合、
どれだけ濃密なエロ描写があったとしても、私はまったく興奮しません。
何故なら、私は物語を楽しみたいのであってエロを見たいわけではないからです。
こういう場合、
物語に関係ないエロシーンはボタン連打で飛ばしてしまうことも多々あります。
まぁ、わざわざ物語を楽しむためにエロゲーをやることはまずありませんが…。

これらは最初から作品に求める方向性がきっちりと固定されている場合の話です。
ヨスガのように、それがどういう作品であるのかを理解していない
宙ぶらりんな状態で観賞を始めてしまった場合、
より強い表現に意識が向けられてしまう(途中で求める方向性が変わる)こともあります。

これらのことから、もし本当に見てもらいたいものがあるならば、
あまり他の要素(特にエロ)は取り入れない方がいいと思うわけです。
人間は存外に不器用な生き物なので、
あれもこれもと複数の事象を同時に堪能することはできません。
どうしてもより強い欲求に引かれてしまいます。
結果、エロ要素に本来見せたい物が食われてしまった場合、
チャプタースキップの悲劇が生まれるのです。

方向性を定めること。
安易なサービスに走らない。
作品をしっかりと見せるには、これらに気をつけるべきなのかもしれません。


…ここまでで「おや?」と思われた方もいるかと思います。
そう、私が大好きな「ToLOVEる」や「クイーンズブレイド」はどうなんでしょうか。
両者とも名実ともに見事なまでの「おっぱい作品」です。

しかしそもそも、これらはヨスガとはまるで違うベクトルにあるのです。
そう、「本番の有無」です。

どれだけエロいシチュエーションを用意しようと、
どれだけおっぱいを露出しようと、本番行為まで及ばなければ、
ギリギリ「物語」の枠組みから飛び出すことはありません。

また、これらはエロ要素をコメディやギャグ(お約束)に昇華しているため、
物語へのスパイスという本来あるべき「味付けとしてのエロ要素」として、
きちんと機能しています。

この辺の線引きの見極めこそが、
作品作りにおいて重要なことなのかもしれませんね。


最後に、「本番」があるからといって、=エロ作品というわけではない点に注意。
ハリウッド映画が物語の中盤に濡れ場を持ってきても、
それがエロ映画とは呼ばれないように、要は頻度と見せ方の問題なのです。

ヨスガが(準)エロアニメとなってしまったのは、
主軸である恋愛要素の結末として本番行為を用意し、それを見せてしまったためです。
つまり、メインとなる要素の上にエロ要素が覆いかぶさることで、
本来伝えたかった「恋愛」部分もまた「エロ」に置き換えられてしまった結果でしょう。

もちろん、制作側は意図してそういう形にしている可能性もありますし
(商業的理由で肌色を増やすのは常套手段)、
視聴者である私が必要以上に邪まな感情を抱いただけという場合もあります。
ヨスガを見て心底感動したという人がいる可能性も否定しません。

しかし、あの内容でエロ要素に気を取られずに観賞を続けるということは、
なかなか難しいことだと思います。
前述のように、最初からエロ要素の存在を知りながらも、
純粋なラブストーリーとして楽しむことを前程とした気構えで見ていれば、
また印象は変わったのかもしれません。
ただ、今回はそういう方向で見ることはできなかった。
そういうことです。


なお、断っておきますが、この記事はヨスガノソラを批判するものではありません。
誤解なきよう、お願いします。

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